前回に引き続き、般若心経について。
hitokadoh-aider.hatenadiary.jp
ちょっと意味もわかったし、般若心経がより響いてくるかと思いきや・・・
昨日と今朝、どうにも調子が悪いです。
唱えていると、にわか知識の数々が頭をよぎり、そこで途中停止する。つっかえつっかえで、いつもより時間がかかってしまいました。
当たり前といえば当たり前ですが、お経は考えながら唱えるものではないな、と実感しました。
そういえば、「般若心経の意味は教わるな」ということを聞いたような氣がして・・・
そうそう、野口法蔵先生のお話でした。
野口法蔵先生は坐禅断食を考案されたお坊さまで、坐禅断食やその他に関しても多数著書があります。
「響き合う心と体」(坐禅断食参加時に購入した本。amazonでは買えません。)の中に、そのお話が載っていました。
法蔵先生はチベットでも修行されていたのですが、そのチベットでの話です。
法蔵先生が最初に般若心経について教わったときに、意味を人から教わってはいけないと言われたそうです。チベットのお寺では、般若心経の意味を誰も教えないし、誰も教わらないそうです。
そして、意味を知らないでただただ唱えているうちに、何が書いてあるかポンとわかる時があったそうです。法蔵先生曰く、
般若心経は唱えるお経だということです。唱えて初めて意味に到達できるお経だというふうにとらえています。お経には言葉の意味を読み取ればいいお経と、唱えて意味があるお経とがありますが、般若心経は唱えるためのお経なんです。
法蔵先生のご師匠は、意味を教えてもいいが、教えたら般若の説く空になれるのか?そうでないなら教えない、教えない方が早く分かる、と言われたそうです。「それには、読め。ついてこれなかったら、後の部分だけ、ガテー・ガテー・パラガテー・パラサンガテー・ボーディ・ソバーハーのところ、これだけをずーっと繰り返していなさい」と。
そして2年くらい経ったときに、透き通るように分かり、師匠の所に言いに行ったら「それでいい」と言われたそうです。
お経を体得された瞬間ですね。素晴らしい!!
そういう世界の足元にも及びませんが、「般若心経は唱えるお経」ということなので、唱えてゆきましょう。
こちらの本に引用されていた花山勝友氏の翻訳、こちらのサイトでご覧になれます。
形あるものは実体がないことと同じであり、
実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。
したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、
実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。
「色不異空空不異色色即是空空即是色」 の部分なのですが、やっぱりすごい!と射抜かれました。
こちらの動画、全4回で般若心経を解説してくれています。英語だと“The Heart Sutra”って言うんですね。
100分de名著 般若心経 3/4 「"無"が教えるやさしさ」
最終回は「唱える」こと、音の重要性が強調されていました。「『私』が消えてくれた方が、いのちはのびのびとできるし、本来の力も出せる」ってうまいことおっしゃってます。お経を唱えると、いのちも元氣になる?!
人生は面白い。