蛇の倉へ行ってから、とてもハマっている「般若心経」。
hitokadoh-aider.hatenadiary.jp
「ハマっている」という言い方は少し変かもしれませんが、でも…ハマっています。
先日など歩きながら、知らないうちに口が般若心経を唱えていて、自分に若干引きました(チーン)。
般若心経、とてもメジャーなお経ですよね。いの一番的な。
そんなんで、「般若心経を空で言えるようになりたい!」と必死で覚えようとしてた時期が10年くらい前にありました。
毎日、経本見ながら唱えて、だんだん見ないようにして、覚えてないとこはまた見て唱えて。耳で聞くと覚えが早いと聞いたので、youtubeで聞いたり。・・・なんてことを(少なくとも3ヶ月は)やっていたでしょうか。
でも、一向に覚えられなかった…正確には、覚えている所もあるんだけど、覚えている部分が一向に増えていかなかったのです。
言葉って繰り返すと、流れ出て行くものもあるけど、内に溜まっていくものもあるじゃないですか?
なぜだか般若心経は、内に溜まっていくものが全然増えず、サラサラと流れ出ていく一方でした。
結構記憶力が良いと自負していた私は、だんだんとメゲてきました。「そんなに長いものでもないのに、どうして覚えられない?この残らなさ具合は何?」。
ある日知り合いと話をしていて、何故だか般若心経の話題になって「なかなか覚えられない」と私がこぼしたところ、その方が「あなたには、ちょっと般若心経が重いんだよね。祝詞とかの方がいいと思う」と言われました。
若干「?」が頭をかすめたものの、(合ってるか合ってないかは別として)覚えられない理由を指摘され、メゲていた私は少し安心しました。「じゃあ、しょうがないよね」
後日、その方は私に「一切成就の大祓」のコピーをくれました。
内容が素晴らしかったので一週間くらいは唱えていましたが、最終的には、覚えるほどモチベーションは上がらず、いつの間にか消滅しました。
そして月日は流れ、数霊の通信講座受講をきっかけに、2014年ごろから天津祝詞を毎朝唱えるようになりました。神様と仲良くなるのにいいかな〜と思って。
具体的なご利益があった訳ではありませんが、落ち込んだり悩んだり不安になったりすることが極端に少なくなりました。唱えることで波動が変わるんでしょうね〜、きっと。あと、変な氣をもらうことがなくなりました。「祓いたまえ浄めたまえ」ですね。
で、今日のテーマ、般若心経に戻ります。
約10年前に覚えようと思っても覚えられなかった般若心経は放置され、時々参加する坐禅断食で唱える程度のみ。もはや「覚えよう」という氣持ちすらなくなっていました。
そうして、今月の蛇の倉です。
蛇の倉では、般若心経いっぱい唱えます。
毎日の朝晩の祈りの時に、神様に向けてそして仏様に向けて、回数はわかりませんが、何度も何度も繰り返し唱えるわけです。
水行やる時も何度も唱えました。護摩焚きの時もずっと唱えてました。奥の院に登拝した時も。母公堂を訪れた時も。とにかく、般若心経がいっぱいでした。
それでも蛇の倉から帰る時は、6〜7割程度。
蛇の倉から帰宅して、氣が付きました。 からだに般若心経が満ちている!
蛇の倉で「祈り」の大切さを再認識した私は決めました、毎朝般若心経も唱えよう!と。今度こそ覚えられる、と確信しました。
今も、毎朝の天津祝詞と般若心経は続いています。確信どおり、般若心経、覚えられました。今度は染み込んだみたいです(^^)
ここまで書いて、私は般若心経についてあまり知らないってことに氣が付きました。
10分でわかる般若心経。
re-sta.jp
曹洞宗僧侶の方のブログに掲載されていた現代語訳、素敵です。ご自身も書かれているように忠実な訳ではなく、観音菩薩様が語りかけてくれているような訳とても良いですね〜。改めて、すごいぜ、般若心経!って感じです。
そういえば、般若心経ロックって流行ったよね。確かに、魂フルエルRockだ!!
↓
般若心経の現代語訳。超スゲエんだけど。マジ感動・゚・(つД`)・゚・ - NAVER まとめ
人生は面白い。