ずっと観たかった「沈黙ーサイレンスー」、観てきました。
長いと感じられない2時間41分。
初っ端からキリシタン弾圧の拷問シーンで始まります。
胸が痛くて苦しいのは、数々の拷問シーンのせいではなく(多少そのせいでもあるけれど…)、人の弱さ、ずるさ、残酷さ、傲慢さと、人の中に確かにある神々しさの間で、大きく揺さぶられて溺れかけていたからだ。
ある出来事を思い出した。
30代前半にあるきっかけで参加していた勉強会。お隣に座っていた女性が、私の話(何の話かは覚えていない)を心を傾けて聞いてくれていて、何かの文脈で言った一言「私たちは、神様ではないから」に、えらく「救われた」と思った。
おそらく、神の大きさ、深さ、広さは、人である私がいくら感じても考えても想像しても、それらを超えているんだろう…と思う。
殉教したものは英雄として語られ、棄教したものは裏切り者として語られる。
それらも、人の目線でしかない。
棄教した神父ロドリゴが最期まで生きた様に、「キリスト」なるものを感じた。それは、彼の中に、確かに「神」が生きていたから。
胸が痛くて苦しくて、哀しくて絶望的で美しくて、永遠過ぎて、溺死しかけた2時間41分。
全ては沈黙のなかにある…
原作未読なので、読んでみます。
人生は面白い。