ある鍼の先生がおっしゃっていました、「この世はすべて陰陽で理解できる。」
最近さらに、それを深く実感しております。
皆さんも一度は目にしたことがあるかと思います、このマーク。陰陽を表しています。
この「陰陽」、古代人たちがいろいろな自然現象を観察している中から生まれた概念だと言われております。
例えば、天と地、昼と夜、明と暗、熱と寒、火と水、静と動など。
すべての事物は、対立する両面があり、同時に、その両面は一方がなければもう一方は存在しない統一されたものであると考えます。
対立しながら統一されている。という世界が、陰陽論では表されています。
そして、この「陰陽」、絶対的なものではなく、相対的なものです。
陰あるいは陽はさらに陰陽に分けることができ、分けた陰陽はさらに陰陽に分けることができ、無限に続けることが可能です。「陰陽可分」という言葉で表されます。
相対的というのは、固定されていないということですね。
陰だったものが陽になり、陽だったものが陰になる。他との関係性で変化していきます。
陰は陽でもあり、陽は陰でもあるわけです。
「万物は陰を負うて、陽を抱く」 『老子』
「陰陽可分」について、「素問・陰陽離合論」という中国古典は次のように述べています。
「陰陽は、これを数えて十なるべく、これを推(お)して百なるべし、これを数えて千なるべく、これを推して万なるべし。万の大も、勝(あ)げて数うべからず。然して、その要は一なり。」
(原文)陰陽者.數之可十.推之可百.數之可千.推之可萬.萬之大.不可勝數.然其要一也.
この文の意味なんですが、こちらの先生の意訳が素晴らしいので、引用させていただきます。
陰陽というのは、これを十に分けて数えることが出来ますし、これを推測して分割し、百にすることも出来ます。これを陰陽可分の法則と申します。
であるからさらに細かく、千に分けて数えることも出来ますし、推測して萬にすることも出来るものである。
さりながら、萬よりさらに細かく分けることは、実用的でなく、そもそもそのようなことは、荘子<内篇、応帝王篇、第七>の最後にあります「混沌」のように、実存からかけはなれてしまい、無意味であります。
なぜならば、元々は一つであるものを細かく分析すればするほど、実態とはかけ離れたものになるからである。
対象とすべき実存はひとつであり、陰陽変化の要もまた『ひとつ』であります。
「細かく分析すればするほど、実態とはかけ離れたものになる」という部分、現代医学の特徴に通じます。
「あの検査、この検査」、「この数値、その数値」で、いつのまにか「いのち」から遠ざかっていた…ということ、しばしば起こります。
「なぜならば、元々は一つである」から。
引用させていただいたブログ「鍼灸医学の懐」は、ありがたいことに他にもいろいろ奥深い内容が書いてありますので、東洋医学にご興味のある方はご覧ください。
私も勉強させていただこうと思います!
人生は面白い。