最近ニュースになる、理由のよくわからない殺傷事件。
ささいな理由で、なぜ「殺す」になるのか?
感情もデジタル化されているのだろうか?
「白」か「黒」か。「ある」か「ない」か。「良い」か「悪い」か。
中間がない。
「日本人は曖昧」というのはもう昔話だろうか。
デジタルはわかりやすい。
だから、安心である。
だから、効率的である。
ある意味、深みがないともいえる。
ある意味、冷たいともいえる。
ある意味、閉鎖的ともいえる。
わかりやすいと思っていたものが、息苦しく感じる。
人間、命は、デジタルではないから。
常に、動いて揺らいでいるものだから。
晴れのときもあれば、曇りのときもあり、雨のときもあれば、雪のときもある。
変わっていくから、晴れの有難さも雨の有難さも感じられる。
どれが良くて、どれが悪いとはいえない。
人の感情も、そうだと思う。
悲しみ、怒りが悪いわけではない。
それらがあるってことは、必要があるからあるわけで。
悲しみ、怒りがあるのに、ないものとして隠すことが問題なのである。
存在を無視された感情たちは、その人の中に存在し続け、いつしか発酵し始める。
そして、ある日、爆発。
人が感情をコントロールするはずが、感情が人をコントロールする。
その人は、もはや人ではなくなる。
ニュースを見てて、あふれ出てきた独り言である。