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hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

恐れのその先

ボディサイコセラピー

11月12日〜14日は、BIPSのプレトレーニングに参加。

今回の私のテーマは、「恐れ」と「頭とこころと身体の時間の違い」だった。


今回はワークショップへ行くこと自体、気乗りしなかった。
これまではそんなことはなかった。BIPSのワークショップはたくさんのものを齎してくれるので、いつも参加するのが楽しみなのだ。が、今回は行くのを止めようと思うほど、憂鬱だった。

そんな私の心理状態を反映して、初日は、余裕を持って家を出たはずのなに、すっかり遅刻してしまった。
降りるはずの駅の手前で降りてしまい、次の電車が10分たたないと来なかったり。駅にたどりついた後も、地図を見ているのに道に迷い、全然逆方向に歩いてしまったり、携帯の充電が切れてしまい連絡もとれず。
しかもわからないなら道を人に尋ねればいいのに、そういうときって、なぜか尋ねようという気持ちが全く起きてこないのだ。あまりにもわからないので、最後はとうとう喫茶店の方に道を教えてもらったけどね。

駅から会場まであくせく歩いているときに、ふと、自分が自分に怖がっていることに気がついた。
自分のなかにいないと思っている自分、まだ見たこともない自分に出会うことがこわいのだ。
あ〜、だから数日前から憂鬱だったのか。


そして、ワーク中に出てきたのは、「No」と言うことの恐れ。

しかし、日常生活で、私は実際断っている。できないときは「できない」と言うし、「それは無理です」とか躊躇もなく言える。
「断ることも権利だ」と理解している。

そう、そのことを理解していたのは、頭だけだったのだ。
私のこころと身体は、「No」と言いたくなかったのだ。
私のこころと身体は「Noと言うことは権利だ」ということに全然同意しておらず、全然腑に落ちていなかった。

今回のトレイナーであるルーベンス・キグネルが言ったとおり、私達はいろいろな時間を持っている。
「時間は、ひとつではない。それぞれ、頭の時間、身体の時間、こころの時間があり、みんな違う」

頭は「No」と言う権利を既に覚えていたのだが、まだ、こころと身体は学んでいなかった。もう少し練習が必要なのだ。


最後に出てきたのは、自分自身の存在にかかわる恐れ。
それは奥深く私のお腹のなかに存在していた。

内胚葉のワークのデモを見ているときから、私のお腹は動いていた。
訳の分からないもやもやした感覚が、お腹の奥で動いていて、吐きそうだった。
ああ〜、嫌だなぁ。この場から立ち去りたい気持ちを抑えて、立っていた。

その恐怖は、泣き声と涙と息苦しさと一緒に出てきた。

引き裂かれる恐怖。怖い!恐い!こわい!
ここから引き離されたら、自分が無くなってしまう!助けて!

必死に呼吸をして、深く深く。
深い呼吸をしながら、目を開けると、私はそこにいた。


「『生まれる』ということは『一度死ぬ』ことなのだね」

ワーク後一人で休みながら、しんとした自分の中からそんな言葉が出てきた。


腹の底にある恐怖に気がついた後、私のお腹はほかほか温かくなった。
お腹の奥に眠っていたエネルギー、生命力。
初めて、そこに血が通い、息づき始めたようだ。
そうして初めて、今までのお腹が固く冷えていたことに気づいた。

初日にルーベンスが言った。「人は、恐れで生きることを止めてしまうことがある」
本当にそうだ。

その日から、私の温かいお腹は「私は生きている」と何度も何度も内側から語りかける。
それは表現しがたい安心感である。

そして、今私はそれと共に存在している。なんだかとっても嬉しい。