未知なるものは、わくわくするものであり、怖いもんではない。
…と思っていたが、そうではなかったらしい。
恐れってやつは、知らないうちに息を吹き返し増殖するようだ。
未知が既知となったとき、何がどうなるかはわからない。
何かが変わるかもしれないし、何にも変わらないかもしれない。
変わりたい、進みたい、と思う一方で、変わりたくない、進みたくない、と思っている自分もある。
どこへ行きたいのか?
明確に知っているつもりだったのに、それが今は不明確。
動けば何かが変わると信じている一方で、別に動かなくても大差ないんじゃないかと疑っている自分もある。
確かなものがあると信じている一方で、何一つ確かなものなんてないとも思っている。
私の中のビー球が、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ころころ転がっている。
左右に揺れながらもバランスをとりながら、立っている。歩いている。
「なんとかまだ倒れていないよ」とちょっと自慢げに言ってみるが、もしかしたら倒れたほうが楽なのかもしれない。
倒れたからといって、ずっと倒れっぱなしのわけではなく、また次立ち上がればいいだけじゃん?
倒れたからこそ、見える景色もあるだろう。
いろいろ納得できるような理由を考えてはみるが、理由によって恐れがなくなるわけでもない。頭が納得しても、こわいもんは依然として存在する。
恐れをなくそう、消そうと努力するが、そう思う時点で、自分が恐れをまた作っていたりする。
恐れから逃れたいと思い、あわよくば逃れられたとしても、またそいつは追っかけてくる。
じゃ、恐れってやつは本当に恐ろしいのか?
恐れを持っていても笑えるし、楽しいことは楽しいし、美しいものは相変わらず美しい。
恐れはメッセージの一つでもある。
恐れの下には、ただ単に伝えたいものが隠されている。ならば、ちゃんと聞いてやらねばね。
そしたら、案外仲良くなれるかもね。