あらゆるところで聞こえてくる「統合」という言葉。
東洋と西洋の統合とか。
女性性と男性性の統合とか。
今、アレクサンダー・ローエン著『からだのスピリチュアリティ』を読んでいる。
自分は、一番身近な自分のからだと、どの程度統合しているだろうか?
統合には、それに伴う深いコンタクト、つながりが必要である。
つながりがないところは、そもそも認識されていないわけで、無いものと同じである。
無いものと認識しているところは、当たり前だが、統合されない。
それが、からだのなかにも、起こっている。
そして、こころにも、起こっている。
始めは、痛みをたくさん感じることはつらいから、それを切り離した。
その切り離しも悪いわけではない。Surviveするための手段だった。
いつの間にか、切り離したところは、自分として感知されなくなり、自分ではなくなる。
とりあえずは、それでいいだろう。
つらいところから逃げることができて、なんとか生き延びた。
そして、また次の痛みがやってくる。
嫌なものは嫌だ。つらい。
そうだ、前やったように、切り離せばいい。これで、また生き延びれる。
そうしているうちに、自分はどんどん小さくなり、分断されたピースがいっぱいできている。
「こんなちっぽけな私に何ができるだろう。。」
「こんな弱い私に、何をしろっていうの?」
あちこちに散らばったピースが、かつて自分だったことも忘れ、ひたすら嘆く。
ある日、ふと、散らばったピースに氣がつく。
氣になるのだが、自分とは関係ないと思い、避ける。
氣になるのだが、理由もなく恐ろしく感じて、近くに寄れない。
しかし、ピース達は語りかけてくる。
「かつては、あなたの一部だった」
かつて自分の一部だったものを統合するとき、すんなり行く場合もある。
痛みやつらさを伴う場合もある。
でも、その痛みやつらさの先には、より大きく、より美しく、より愛にあふれた自分が待っていることを、ローエンは教えてくれる。
恐らく、人は成長せざるを得ない。
進化を求めてる。上へ上へ。
だからこそ、地に根を張る必要がある。
天へ伸びる以上に、地に深く広く根を張っている巨木のように。