hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

第二チャクラのテーマ

最近、キャロライン・メイスの「7つのチャクラ」を久しぶりに読み返した。

キャロライン・メイスは直観医療者であり、スピリチュアリティに関する講演やスクールも運営している。

「7つのチャクラ」(原題はAnatomy of the SPIRIT)は、各チャクラごとに、そのチャクラの特徴やテーマ、身体とのつながり等々が書いてある。
元ジャーナリストの彼女の文章は非常に明解で、わかりやすい。

時々読み返すと、自分の現在のテーマがどのチャクラと関係があるのかが客観的にわかって、助けになる。
問題の最中にあると、表面的なことしかみえなくなり、感情的にもなる。
この本は、その奥にあるもっと重要なテーマに目を向けることの大事さを教えてくれる。

例えば、私は子宮筋腫がある。
女性器は第二チャクラとのつながりがある。

第二チャクラは、感情やセクシャリティ、創造性と関係がある。

「女で生まれてこないほうがよかった」とか自分の性別についてネガティブな思いを持っている人のほうが、婦人科系疾患になりやすいというのは、よく聞く話である。

自分について言えば、「女は損だ」と強烈に思った体験がある。
高校卒業後の進路を決めるとき、親は、当然私は短大に行くものと思っていたし、私もそう思っていた(早く働きたかったし)。
だが、ある日、4年間大学で勉強してみたいなぁと思い始め、それを母に言った。
それを聞いた母は、「うちには、弟が2人いるんだし、お姉ちゃんにそんなお金はかけられない」と言った。
そのときの私は、「自分が男だったら、そんなことは言われないだろう。女は損だ」と即座に思ったのだ。

今思えば、教員である父の給料と母のパート代では、そりゃ無理だろうと納得する。
大学だって本当に行きたかったのか?と聞かれれば、気まぐれな思いつきだったのだろう。

そのときに、傷ついたという感じは何もなく、「やっぱりね」という印象だった。

その後、「自分のやりたいことは、稼げるようになってからやろう」という決意した。
私のなかで、「自立」という意識が芽生えたときでもあった。

働くようになってからは、私は「女性のほうが自由だな」と思うことが多くなった。
女性にも社会・世間が求める「こうあるべき」像はもちろんあるが、社会が男性に求める「こうあるべき」像のほうが狭いように、私には感じたから。

実家から東京に一人暮らしも始め、自由な生活を楽しんできた。
東京は、一人でいる女性に対して、寛大だし。

先日、「ウルルン滞在記」を偶然見たときだ。
吹石一恵がパリへモデル修業に行ったときのVTRをやっていて、ステイ先の大阪弁をしゃべるフランス女性が、「いくつになっても、女を捨てたらあかん」と言っていた。
さすがフランス人!

そんな中で、ふと、「自分が女性である」という部分にあまり関心がなかったことに気がついた。
私の中では、いつも「人としてどうありたいか」ということが大事であり、「女性としてどうありたいか」ということをあまり考えてこなかった。

今、自分が女性としてどう生きていくか、考える時期なのかもしれない。

○○の妻、△△の母とか枕詞を持たない私。

一人のだたの女性として、どうありたいか。
それに直面せよ、と第二チャクラが言っているのかもしれない。