私はボディワーク好きである。
そもそも私は、からだより精神・心のほうに興味があった。
とかくからだを忘れがちの私だったが、2003年に訪れたフィンドホーン体験週間での出来事で変わったのである。
体験週間プログラムがすべて終わり、あとはCompletionを残すのみとなった自由時間にホリスティック・マッサージを予約した。
フィンドホーンに行かれた方はご存知だろうが、レブというマッサージセラピストのセッションである。
一週間いろいろ、まさしく“体験”した体験週間も終わり。リラックスしきって、「きっと、ぐうぐう寝るなぁ」と思っていた。
が、そのセッションは、その後の私にとって特別のものとなった。
セッション中しばらく経って氣が付いたら、私は私でなくなっていた。
そこには何もなかった、モノも感情も。
何もなく、ただ在った。
私はすべてであり、そのひとつひとつだった。
すべては限りなく大きく広く無制限だが、その一部一部もすべて感じられた。
宇宙そのものになったようだった。
そして、私は、からだを与えられた。からだを授かったのだ。
そのとき、この「からだ」は自分のものではなく、借りているものと感じた。今生が終わったら、大いなるものにお返しするのだ、と。
氣が付くとセッションは終わり、最後足に手を置かれたとたん、がくんと「私」はからだに入った。
「うわ〜、からだって重い・・・」
私は、今まで感じたことのない重いからだと一緒に、マッサージテーブルから起き上がった。
からだを着た私は、今まで感じたことのない静寂感とともにあった。
自分が、平和そのものだった。からだの奥に、さっき訪れた宇宙があった。
本当に「肉体は魂の神殿」なのである。