フラッシュバック・プロセスのさなか、ある女性(仮にMさんとしておきます)のことを思い出しました。
ある勉強会でお知り合いになった方でした。
お会いした当時、Mさんは性的トラウマのため、時折とても不安定な精神状態で、危うい印象がありました。
メンタル的要素もある勉強会でしたので、勉強会のあと、ときどきお茶しながら、Mさんの話を聞くことがありました。今まで勉強してきた心理学のこと、性的トラウマのこと、離婚したこと、今の彼氏のこと、等々。
ある日、彼女は「自分が性的被害者である」と認識した経緯を話してくれました。
レイプ・トラウマで悩んでいる女性の知り合いがいて、彼女は心理学を勉強していたので、いろいろ相談に乗っていたことがあったそう。そのうちに、自分の中に湧き上がってくる感情があって、わかったそうです。
「私もその人とおんなじだった。彼女のように『挿入』はなかったけれど、自分も性的被害者だった、とわかったの。」
2011年秋、私はこの言葉を思い出して、Mさんに連絡し、新宿で会ったのでした。
約2年ぶりに再会した彼女は、穏やかで、落ち着いていて、幸せそうに笑っていました。
2年前に「共依存なの」と話していた彼との暮らしは続いていて、実際、その生活をとても楽しんでいるご様子でした。
「共依存の彼氏」の話を初めて聞いたときはびっくりしたし、このときにお二人の関係性が深まっていたことにも驚いた。
ランチしてお茶して、いろいろな話をしていたら、すっかり夕方になっていました。
別れる間際、Mさんが「何か相談っていうか、お話があるのかな?と思ったんだけど・・・違う?」と聞かれました。
Mさんには話せそう、と思って、言葉を出そうとしたのだけれど、喉が凍りついて声が出ない。「ごめんなさい。まだちょっと言葉にできません」と謝りました。
彼女は一瞬何か聞きたそうだったが、「じゃあ、話せるようになったら聞かせてね。『話す』は『放す』だからね」と掌をパッと開いて、ゆっくりと微笑みながら言いました。
「そうっか、『話す』は『放す』か〜。いいですね〜。」私も、グッパー、グッパーと何回か手を動かしながら、答えました。
「話す」は「放す」。この言葉は、その後何度も私の中に響いてきました。
2年前自分と同じ状態だったMさんが、今は生活を楽しんでいる。そして、共依存彼氏とも幸せそうだ。
その事実は、私に勇氣と希望を与えてくれました。
彼女の佇まいは、どんなカウンセリングやヒーリングよりも、私に力を与えてくれました。
その後、結局Mさんには話せずじまいですが、感謝しています。
彼女に再会して、確信したことがありました。
苦しんでいる(いた)人は誰かの救世主なんだ、ってね。
人生は面白い。