「村上光照老師と一期一会の会」の記事が、4月19日にMYLOHASに掲載されていました。
記事を読んだらその時の空氣が蘇り、祓われスッキリしました。
記事の最後の方に音声ファイルがあるので、村上光照老師のお声も聴けますよ。
「こういうお方も今、この世に生きておられるのだ」と思うと、少しの救いになります。
存在自体が救い、なのでしょうね。
話は変わりますが、最近、障害者の子どもたちのアフタースクール・デイサービスの場所へ、週に数日行っています。
子育て・介護経験がないもので、そこでの私は「でくの棒」に近く、そこでの活動に関連するシナプスが構築されるまで時間がかかりそうです。果たして、自分がどのくらい続けられるか、皆目見当はつきませんが…
こういう世界があるのだ…と。
普通に会社員やっていたら、それは、私にとって「無きもの」だった訳で。
私が知っても知らなくても、それはずっと今までも有って、そして有り続けている。
自分が知っていたモノ、コトは、ほんとクソみたいなものだな〜、と思ったのでした。
もちろん、それらは"愛すべき"クソたちですけど。
そこには、知的障害のお子さんたちも来ています。
その子たちって…なんて表現したらいいんでしょう…人が持つ"邪氣"がないのです。ここでの"邪氣"は、「知恵」とか「理性」とか人だけが持つ優位性(?)も含んでいます。ま〜大雑把に言うと「魂がきれい、清らか」という感じでしょうか。
冒頭の「村上光照老師と一期一会の会」に参加されていた、ダウン症のお子さんがいるお母様が「その子は宝物」とおっしゃっていましたっけ。
そうおっしゃっていたお母様の言葉、よくわかります。
・・・と同意しつつも、私なぞが想像もしえないご苦労、ご心配はある(あった)と思います。
たらればの話しかできませんが、もしそういう子どもが生まれてきたならば、果たして、こんな風な境地になれるかどうか…。
災難に遭うときには災難に遭うがよく候。どんな子どもが生まれても、どんな子どもをいただくことも避けないように。大事な大事なわが子ですから。 (ダウン症の子を持つ母親に)
そういう子どもたちを見ていると、
私たちの穢れを祓うためにこの世に生まれてきたんじゃなかろうか?
魂の穢れを磨く存在として生まれてきたんじゃなかろうか?
この子たちは、存在自体が利他なんじゃなかろうか?
等々、妄想は続くのでした。
人生は面白い。
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