これは、戦争体験者に限るのだけれど・・・
(こちらからその話題をふることはしないで)施術中の世間話に戦争時の思い出話が出てくると、私は勝手に「あ〜、心許してくれた・・・」と思うのです。
たぶん、そのように思い始めたのは、デイケアセンターでアロマのボランティアをしていたときの経験からじゃあないだろうか。
何かの拍子に、その方がぽつりぽつりと話し出す「若い」ときの話。それに深く結びついている”戦争中”のこと。
その「ぽつりぽつり」のタイミングは人それぞれで、会った初日の場合もあるし、1年過ぎてようやくという場合も。
その方の「ぽつりぽつり」は、施術訪問をするようになって1年を過ぎた春でした。
何がきっかけかは覚えていないのですが、「3月10日」の話を始めました。
当時は「3月10日は3.11の前日」くらいしか思いつきませんでした・・・
東京大空襲があった日です。
その方は、東京大空襲のサバイバーでした。
避難途中会った男性に「そっち(自分たちが逃げようと向かっていた場所)じゃなくて、〇〇(その反対側の場所)へ逃げなさい」と言われて、命びろいをした、という。
「そっち」は焼け野原になった場所で、「もしそっちに逃げていたら死んでいたよ。その人にもう一度会ったら、お礼が言いたい。命の恩人だから」と話された。
そして、目撃された焼かれて死んでいった人たちの形相を真似して「すごい顔してるの」と何度も何度もおっしゃった。
衝撃的な話は、からだがそのまま受け入れるのに拒否るせいかフリーズする。
こんな体験していたら、トラウマにならないはずないだろ。。
今まで使っていた「トラウマ」という言葉が、軽く感じるような。
話には、映像がない、においがない。
聞いている私はそれらを想像するしかない。想像はあくまでも想像で、リアルではない。
・・・でも、話してくれてよかった、聞けてよかった、と思った。
「話すは、放すだから」と言った友達がいた。
ほんとにそうだ。
深くえぐられていればいるほど、話(放)せない。
言語化が難しいし、たとえ言語化できたとしても、あまりに痛すぎて話(放)せない。
言葉のかわりに、嗚咽かうめき声かわからないような「音」や、涙か鼻水かもしくは両方の「水」しか出てこない。
話していない、から、無い、のではない。
あまりに絡みすぎて出せない、ということもあるんだよね。
その方は、その後も何度か、東京大空襲の出来事と死んでいった人たちの形相を話され、ほつれていったモノを放していかれた。
今年も、3月10日が近づいてきます。
Photo by Kelly Sikkema on Unsplash
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