一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

アドラー読むと「痛い」のですが…

図書館で『幸せになる勇気』の貸出予約を入れたとき、3年前読んだ『嫌われる勇気ももう一度読もうと思って、こちらも予約入れました。

   

予約順位は全く違っていたのに、『嫌われる勇気』の順番が来て一週間後に、『幸せになる勇気』の順番が来ました。「順番に読んでね!」って感じだね。
おかげで、『嫌われる勇気』の復習後に『幸せになる勇気』を読むことができました!天の采配どおり、この2冊は続けて読んだ方が確かに沁みますね。

幸せになる勇気』では、前作でアドラーに目覚めた青年は小学校の教師になっています。アドラー心理学を日々実践しようと奮闘していましたが、現実の学校生活ではうまく行かず、「騙された!あいつは嘘つきだ!」と再び哲人の元を訪ね、あらなた対話を始めます。対話は「愛」まで及び、深くなっていきます。

アドラーの「愛」の定義がクールすぎて、頭とハートを撃ち抜かれ、宇宙まで飛びました(あくまで比喩です)。
スピリチュアルでワンネスな世界へぶっ飛びましたが、丁寧で忍耐強い哲人との対話で一緒に歩いているような感覚になりました。

そして、相変わらずアドラーは「痛い」(笑)

アドラーの第一印象は「厳しい」と「痛い」でした。全くもって容赦ないのです。
トラウマの存在は認めないし、自己責任だし、褒めるのはダメだし、etc.
無意識に採用してきた自分の思い込みが姿を表してきて、それらをバズーカ砲でズドーンと撃ち抜かれたような状態。
一瞬呆気に取られ新しい匂いの風を感じると同時に、ボコボコ湧き上がってくる反発と抵抗。「そうは言ったってさ〜」「それは理想論だろ」「現実は甘くないよ」

アドラーは痛くて厳しい…だけど、なんだかあったかい。そしてクールだ。

人に失望していない。人の可能性を信頼している。

どんな行為でも目的がある。その目的がわかればいいのだ。比較を捨てろ。勇氣の問題だけ。縦の関係じゃなく横の関係。承認じゃなく貢献。一体感。

言葉にすればありふれたものばかりだけど…しかも、ビジネスの自己啓発系っぽくなりがちだけど…

gendai.ismedia.jp

でも、それだけじゃない。

アドラー思想を真髄まで語れるのは、おそらく岸見先生が哲学者だからかもしれないですね。


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 今日1日の生き方


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 生活に生かす応用の仕方

 

幸せになる勇気』から引用(文字拡大は引用者追加)。

「わかりえぬ存在」としての他者を信じること、それが信頼です。われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです。(p.211) 
利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それがなのです。(p.239)
ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。
幸福なる生を手に入れるために、「わたし」は消えてなくなるべきなのです。(p.240)

いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。(p.244)

 岸見先生は、介護の本も出されています。
老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる』を以前読みましたが、アドラー思想を混えた介護、目を覚まさせてくれるところがいっぱいありました。

 

介護なさっている方、ぜひどうぞ。

これで終わりにしようかと思いましたが、追加。

アドラーも決して感情を否定しているのではありません。字面だけ読むと、そう読んでしまう方もいるかもしれません。
感情が起こるのは自然なことです。でも、感情の奴隷になるかどうか、私たちは選べるということです。
そして、「感情の奴隷にならない」は「感情を抑える」とは違います。 

 

人生は面白い。