hitokadoh姉さんの身辺雑記

人生は面白い。鍼灸師、あれこれ綴ってます。

『シュタイナーの挑戦』とりあえず英語で挑戦

先日、こちらにシュタイナーのことをちろっと書きました。

hitokadoh.hatenablog.com

昨日、友人の投稿でシュタイナーの映画の上映会があることを知り、行こうかと思ったのですが…

YouTube見ていたら、アップされていた!


The Challenge of Rudolf Steiner (UK, 2011)

ひとまずこれ見てから、通訳入れても見たいかどうか判断しようっと。

著作権の観点からは問題あり、なのだろうけど…YouTube様様です。繰り返し見たかったらDVD買います。

 

人生は面白い。

『禅八講』覚書

自らの覚書として、『禅八講 鈴木大拙 最終講義』より引用。 

この例えはとても腑に落ちた。「自己」と言うも、それは自分がそれと思っていた「自己」と同じなのか?言葉にも幾重の次元があり、その言葉がどの次元から発せられているのか探るのも、ある種旅のよう。

一人の祖師から次の祖師へ、あるいは師から弟子への伝灯といわれるものとは、この「本来の顔」の受け渡しにほかならない。(略)「顔」とはその人自身のものである。他人から借りるものではない。借りたら、それは自分の顔ではないから、自前の顔の上にさらに人の「顔」をつけたいと望むわけがあろうか。禅で必要なことはただ一つ、生まれる前からもってきた本来の顔を知ることである。それは善悪、正邪、論理・非論理の内容をすべて捨てた「自己」以外にはない。それは物事のありのままの姿である。公案も要らず、「喝」も不要である。 (p.39-40)

知性は「洗練されている」ように見えるが故にトリッキー。わかったつもりが、その実全然見当違いだった、なんてことは数知れず。知性の糸、見えたと思ったら、またわからなくなった。

禅は決して知性そのものを軽蔑しない。(略)知性は不可得なものに眼を向けさせるか、それを指し示してその所在を教えてくれる。不可得なものの領域に直接人を連れていってくれるのは、知性ではない。それは、いってみれば入口で止まる。身の周りの一切を捨てて中にはいるべきは、われわれ自身である。たった一筋の糸が身体に残っていても、それが障害になって扉は眼の前で閉ざされるであろう。知性の糸は、可得なものが支配する領域にかならず人を引き戻す。 (p.44-45)

  

われわれは感性・知性の世界に住み、どんな状況に遭遇しても問わずにいられない性格であるかぎり、知性に頼り、知的解決を求めるのになんの非もない。禅が反対するのは、いかなる疑問にもなんらかの解決を提供するものが知性だけだと見なすことに対してだけである。 (p.48)

潮が満ちるときがあるように、どんなことも「そのとき」がある。私の「そのとき」はいつのことやら…

 一方で知性を立て、他方に不可得なものを立てると、そのものは捉えられない。二つを互いに分離させようとしてはならない。両者を対立させてはならない。分離と対立があるかぎり、解決は望めない。不可得なものがそれとして受け入れられれば、不可得性は消えてなくなる。初めに可得なものと不可得なもの、可知のものと不可知のもの、概念化と真実との間にどんな対立があったとしても、それはもうない。これを禅経験というのである。

 その経験がゆきわたると、可得なものは不可得なものと一体化し、不可得なものは可得なものと合体する。一方をとれば、他方もこれについてくる。しかし、このことは概念的な次元で起こるのではなく、実存的、あるいは経験的な次元で起こる、あるいは別の用語を用いてーー静的ではなく動的に、空間的ではなく時間的にといってもよかろう。 (p.50)

 

「幻の身体が鏡の中にその姿を映す

影像と幻の身体ーー二つは別物ではない。

汝は影像をすてて

  身体だけを保持したい、ーー

身体も映像も

  端から空であるのを忘れて。

身体と影像は、端から二つではない

一方は自立できず、

  もう一方は存在しない。

一方を捨てて他方を保持したいなら

汝は生死の海に漂い、沈みつづける」  (p.52)

 

人生は面白い。

初・大拙本

禅八講 鈴木大拙 最終講義』読了。
 

鈴木大拙の名前を知ったのは、おそらくケン・ウィルバーから。何かの本で彼の言葉が引用されていました。いわゆる「逆輸入」的に彼の名前を知ったわけです。

それから、名前はよく見聞きするものの、彼の著書を読もうとは思いませんでした。「禅」というものに興味はあるものの、なんとなく近寄り難い空氣を感じていたからかもしれません。禅の他に興味があるものがたくさんあった、というのもあります。

昨年永平寺の参禅修行に参加したことが、やっぱり大きかったかも。海外からの参加者がいて、すでに何度か参加しているということを知ったとき、禅の広がりを肌で感じました。
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それ以後も、仏教関係・禅関係の本はあまり読まなかったけど。

先月ちょっとしたご縁で井上貫道老師のことを知り、今月の坐禅会で何かのスイッチが入りました。
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そんな流れで、『禅八講 鈴木大拙 最終講義』です。

日本人に伝えるのも難しい「禅」を海外に英語で伝えるって、それを想像しただけでも「お〜〜〜!!」って驚嘆します。

大拙自身が書いているように、「禅を論理的・心理学的に扱う場合、それが禅のすべてだといえば、禅理解に置いて最大の誤りを犯すことになる」が、だからこそ仏教・禅ビギナーの私にはわかりやすい。言葉が拒絶されずに入ってきます。

「時に批判される可能性がある。」けれど、「正確さを犠牲にするかも知れない危険を冒しつつ、一般の人々に、よしんばかりそめにでも、あるいは間接にでも禅を知ってもらおう」という大拙の思いの恩恵に預かりました。

私は「自己の問題で心底から悩んでいる心の持ち主」…とまでは行かないまでも、「真の自己を心から知りたが」っていたんだと思いました。

しかし自らを超越する力がないかぎりは、決して真の自己には到達できない。真の自己は真の自己にしか知られない。 (p.178)

そう、この感じ。

人は真の自己をばかげた作りごとで、経済生活では役に立たないとして捨てられるだろうか。真の自己という問題に一度も注意を払わなかった人は数多く、(略)見たところ彼らは現世で快適に暮らしている。富を蓄え、世間の評判は良く、家族に愛され、従って自分に満足し、一言でいえば幸福である。であるならば、現実と無縁な問題になんで煩わされる必要があろう。真の自己など、どうでもよい、自分たちはそれなしで立派にやってゆける、と彼らは言う。 (p.178-179)

本当にそうなのであるだけれど、そうは生きてゆけない自分がいてかなりのコンプレックスだった。「ばかげた作りごと」と頭で思う一方、「真の自己を知りたがっている」のを無視すると、自分が切り刻まれた感じがして「幸福」とは感じられない。 厄介だけど、しようがない…と諦めたのはいつの頃か。諦めたら、同じ種類の人間に出会うから不思議だ。そういう人も結構いるんだ、と。

この本から、大拙も伝える言葉、伝える方法を試行錯誤している様子が垣間見えて、なんだか好感が持てました。

言葉を超えたものを言葉で表現する。表現しきれなくても表現することを止めない。表現することをつい諦めてしまいがちな私、心に留めておこう。

経験は表現を与えられ、人がそれを適切に表現しようと努めるからこそ、真に力と深みと明晰さを獲得するのである。自己を合理的に表現しようと努めるこの努力は経験そのもの一部をなすからである。 (p.193)

この本の解説の「本書の読み方」(p.219)にあるように、禅ビギナーは第二部から読む方がわかりやすそうです。

 

人生は面白い。

「感じて、漢字の世界」で我が名を知る

古代文字の書をやっている友人が転送してくれました「感じて、漢字の世界」。「今日の漢字」が、私の名前でもある「香」だったので。

面白い!香りはお酒の香りだったんですね〜。

漢字って、神様や祈りとの関係があるものが多いです。確か、白川静先生の本に、神様との通信手段として漢字は使われていた、というようなことが書いてあったと記憶しています。素敵ですね。

普段使っている漢字の奥底に流れている古代の人の価値観を感じると、その字のもつ世界がまた広がりますね〜。

こういう世界観を知ると、自分の名前が好きになります。今まで抱いていた名前に対するイメージも変わります。

ちなみに「香」の古代文字はこんなです。前述の友人が所属している天遊組Exhibitionに昨年行ったとき、「お名前書きワークショップ」で書いたものです。

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黍と「サイ」と呼ばれる器が表されているのが、今の漢字よりわかりやすいですね。

このブログのタイトル部分に表示されているのは、はり灸 一香堂のロゴ。丸の部分が「香」の文字です。

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こちらのロゴ、前述の友人が古代文字でデザインしてくれました。
hitokadoh.hatenablog.com

その友人が所属している天遊組、10月13日〜16日に10周年Exhibitionやるそうです。
お名前書きWSもやるみたいなので、自分の名前を古代文字で書いてみたい方はぜひお運びください。結構ハマりますよ!
詳細は 
古代文字アーティスト集団 天遊組 10th Anniversary Exhibition みのり -原点回帰- | TEN-YOU

漢字の世界も、なかなか奥深いです。

 

人生は面白い。

エキサイトモバイルにしました

先日、久しぶりにMalzackさんのブログを見たら、iIJmioからLineモバイルに変えたという記事を発見。
blog.malzack.com
記事に「1GBのプランがある」というのに触発され、IIJmioから変える予定はなかったのに、ちょっと調べてみました。

いろいろググると、DMMモバイルが最安値水準らしい。
こちらのサイトに「ざっくり評価すると、月1GB以下ならDMM mobile、月3GB以上ならエキサイトモバイルがオススメになります。」と記述があり。

kakuyasu-sim.jp

私はスマホwifiで使っているので、1GB以下で大丈夫かなとも思ったのですが…

結局、エキサイトモバイルに変更することにしました!
kakuyasu-sim.jp最適料金プランというのがあり、これが決定ポイント。このプランは毎月使ったデータ量に応じた料金なので、あまり使わない月は安くなります。
回線はIIJmioと同じなので、元IIJmioユーザーの私にはそれも安心要素。

IIJmioの時はビックカメラで申込手続きしたので、ネット申込は今回初めて。
本人確認書類の写真を再提出した以外は、何も問題なくスムーズにできました。運転免許証の場合、記述がなくても裏面の写真も送らないといけないのを見落としてました(^^;

MNPもネット経由で、日数はかかるけどストレスなく手続きできました(auソフトバンクは番号取るのに電話して、しかも結構待たされた記憶が…)。

ちょうどキャンペーンだったし👍
bb.excite.co.jp

エキサイトモバイルに切り換えて数日経ちましたが、今のところ快適です。

来月の請求が楽しみ(?)です。

 

人生は面白い。

ブログタイトル部分ちょっと修正

はり灸 一香堂のブログ「hitokadohノヒト」のデザインを変更したついでに、こちらのブログも若干手直ししました。ちなみに、こちらの変更はPC版のみです。

hitokadoh.hatenablog.com

ずっと氣になっていた、ロゴとタイトルをなんとか修正できました。

  • タイトルとロゴがセンターに重なって見えるのを修正(表示画面の幅が狭いと重なるけど…解決方法があるんだろうか)。
  • タイトル文字の色とフォントを変更。

今は、いろんな方が素人でもできる簡単な方法をブログでシェアしてくれているので、本当にありがたいですね!

助けになったのはこちら。はてなブログ無料版でも大丈夫です。

www.a-s-blog.com

design.syofuso.com

「ふい字」可愛い!けど、今は導入保留。「ふい字」が似合うような記事があったら試したいです。

gattolibero.hatenablog.com

いつかはスマホもカスタマイズしたい・・・

hitsuzi.hatenablog.com

 

人生は面白い。

坐ると「伝える」が氣になる私

井上貫道老師のインタビューが掲載されているということで購入しました、Samgha JAPAN(サンガジャパン) Vol.27 (2017-08-25) kindle版)。¥1,701で、紙の雑誌(¥1,944)より若干お得です。

今まで「禅」についての本、あまり読んでいません。

坐禅断食がらみで、野口法蔵先生の『からだに効く坐禅』は読みました。

hitokadoh-aider.hatenadiary.jp

このときといい、今回もそうですが、私は坐ると、何故だか「言葉」とか「伝える」ということを再考するくせがあるようです。
 

言葉を超えたものを言葉で伝える、 その姿勢というか佇まいにinspireされるんでしょうか。

先日の坐禅会でも、「実体ではない」と言いながら老師が放つ言葉には、”実体”が宿っているような氣がしました(これも妄想か?w)。大切に言葉を話されているように感じました。

hitokadoh-aider.hatenadiary.jp

悟り人と比べるのはなんですが、「自分もかくありたい」と思う方とお目にかかるのは幸せですね。

 

人生は面白い。