hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

「イナンナの冥界下り」で異次元体験

先週金曜23日に、念願の「イナンナの冥界下り」を観に行ってきました。

「イナンナの冥界下り」がどういうものか、はこちらをご覧ください。

inanna.blog.jp

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とはいえ、これで実際の舞台を想像するのは難しいでしょう(笑)

今回の公演は古代編+未来編という、なんと贅沢!!

能あり、ヒップホップあり、オペラあり、浪曲あり、神事っぽくもあり、etc.
能楽堂セルリアンタワー)の持つ雰囲気も相まって、時間空間が完全にこの世離れしていました。

「イナンナの冥界下り」を数回観ているという方曰く、そのたび毎に演出が全く違うので、現れてくる世界も全く違うそう。舞台も生きているんですね〜。

今回の、未来編イナンナ役をやられたコンテポラリーダンサーの湯浅永麻さん、素晴らしかったです!未来っぽい無機質っぽい衣装もよかった🖤
湯浅さんのからだから生み出される動きは、明らかに人間なんだけど、体温のない機械にも見えて、有機体と同時に無機体も感じるような、不思議な感覚を起こさせてくれました。熱を感じない熱、冷たさを感じない冷たさ…みたいな。

ちょっと何言ってるかわからないですね。言語化を超えたところに連れて行ってくれた、感じですかね。

観終わって、しばらくは肚の奥にごくごく微細な噦きがあり、周波数調整が必要でした(なんのこっちゃ・・・)。

 

人生は面白い。

 

修理っていいね

レパリエさんにお願いしていた靴のソール修理が上がってきました。

こんなにきれいになって返ってきました💓

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ソールが割れていたので、総張り替えです。

しかも、割れはかなり進行していて、ソールの奥まで割れていたらしい。

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なので、ラバーソール全体貼る前に、一枚レザーを入れて、縫いで仕上げてくれました!

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すんごい立派になって戻ってきた〜〜💕

オールソール交換ですから、それなりにお値段はかかりましたが…修理代と同じ金額で同じような靴は買えないので、お直ししてよかったな〜と思っています。

こちらの靴はマックスマーラのもので、2010年の冬セールで購入しました。結構履いてます。
レースアップだから脱いだり履いたりは大変で、ちょっと重めの靴なのだけれど・・・
足から足首までいい具合にフィットして歩きやすく、シルエットもきれいです。

そして、あの3.11の時にもこの靴履いていました。当時働いていた丸の内から当時住んでいた戸越銀座まで、この靴で歩いて帰りました。
あのとき歩きながら「あ〜、今日この靴で良かった!」と思ったのを思い出します。
そういう意味では苦楽(と言ってもいいと思う)を共にした靴です。

そして、相変わらずお氣に入りです。

そんなストーリーもある靴だったので、靴愛に溢れる修理で新たに生まれ変わって、嬉しいです。

修理出すとき、無難に「靴専科」とか「リアット」とかチェーン店にしようかと思ったのですが、何度かお店の前を通ったとき氣にかかっていたこちらのお店にしました。

www.repalier.com

これも良い選択でした。職人仕事を感じさせるレパリエ、ぜひどうぞ。

 

人生は面白い。

Facebook疲れ⤵️

先週から、Facebookを開けると、頭の中が騒がしくなり、見るのを止めてます。

これは、SNS疲れなんでしょうか??

でもTwitterは見てもそんな状態にならないので、FB限定ですね。

内容読んでいなくても、文字を見ただけで、目から何かが流れ込んできて、頭が騒がしくなります。

目からの侵入感、介入感は、若干の暴力性も混じっていて、私の中の「被害者」がむくむくと成長し始めるの感じて、開くことも止めています。

FB投稿内容が暴力的ってわけでもないのですが。。。

いろんな人の思いや、つぶやきや、お知らせや、写真や、シェアや、意見や、メッセージ等々が、ワーワーとこだまして流れ込んでくる感じ・・・です。

あまりの騒がしさに、アカウント閉じようかと衝動的に思いましたが、冷静になってそれはやめました。

SNSとかの距離の取り方や扱い方には慣れている・・・と自分では思っていただけに、意外でした。

こうなった原因と考えられることはいくつか思い当たりますが、そこは分析せずに、一旦休みましょう。

 

人生は面白い。

アドラー読むと「痛い」のですが…

図書館で『幸せになる勇気』の貸出予約を入れたとき、3年前読んだ『嫌われる勇気ももう一度読もうと思って、こちらも予約入れました。

   

予約順位は全く違っていたのに、『嫌われる勇気』の順番が来て一週間後に、『幸せになる勇気』の順番が来ました。「順番に読んでね!」って感じだね。
おかげで、『嫌われる勇気』の復習後に『幸せになる勇気』を読むことができました!天の采配どおり、この2冊は続けて読んだ方が確かに沁みますね。

幸せになる勇気』では、前作でアドラーに目覚めた青年は小学校の教師になっています。アドラー心理学を日々実践しようと奮闘していましたが、現実の学校生活ではうまく行かず、「騙された!あいつは嘘つきだ!」と再び哲人の元を訪ね、あらなた対話を始めます。対話は「愛」まで及び、深くなっていきます。

アドラーの「愛」の定義がクールすぎて、頭とハートを撃ち抜かれ、宇宙まで飛びました(あくまで比喩です)。
スピリチュアルでワンネスな世界へぶっ飛びましたが、丁寧で忍耐強い哲人との対話で一緒に歩いているような感覚になりました。

そして、相変わらずアドラーは「痛い」(笑)

アドラーの第一印象は「厳しい」と「痛い」でした。全くもって容赦ないのです。
トラウマの存在は認めないし、自己責任だし、褒めるのはダメだし、etc.
無意識に採用してきた自分の思い込みが姿を表してきて、それらをバズーカ砲でズドーンと撃ち抜かれたような状態。
一瞬呆気に取られ新しい匂いの風を感じると同時に、ボコボコ湧き上がってくる反発と抵抗。「そうは言ったってさ〜」「それは理想論だろ」「現実は甘くないよ」

アドラーは痛くて厳しい…だけど、なんだかあったかい。そしてクールだ。

人に失望していない。人の可能性を信頼している。

どんな行為でも目的がある。その目的がわかればいいのだ。比較を捨てろ。勇氣の問題だけ。縦の関係じゃなく横の関係。承認じゃなく貢献。一体感。

言葉にすればありふれたものばかりだけど…しかも、ビジネスの自己啓発系っぽくなりがちだけど…

gendai.ismedia.jp

でも、それだけじゃない。

アドラー思想を真髄まで語れるのは、おそらく岸見先生が哲学者だからかもしれないですね。


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 今日1日の生き方


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 生活に生かす応用の仕方

 

幸せになる勇気』から引用(文字拡大は引用者追加)。

「わかりえぬ存在」としての他者を信じること、それが信頼です。われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです。(p.211) 
利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それがなのです。(p.239)
ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。
幸福なる生を手に入れるために、「わたし」は消えてなくなるべきなのです。(p.240)

いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。(p.244)

 岸見先生は、介護の本も出されています。
老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる』を以前読みましたが、アドラー思想を混えた介護、目を覚まさせてくれるところがいっぱいありました。

 

介護なさっている方、ぜひどうぞ。

これで終わりにしようかと思いましたが、追加。

アドラーも決して感情を否定しているのではありません。字面だけ読むと、そう読んでしまう方もいるかもしれません。
感情が起こるのは自然なことです。でも、感情の奴隷になるかどうか、私たちは選べるということです。
そして、「感情の奴隷にならない」は「感情を抑える」とは違います。 

 

人生は面白い。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

今年の8月31日に、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)の外苑前会場がクローズするというニュースを聞いて、ようやく行ってきました!

www.dialoginthedark.com

DIDのことは、4、5年前にある友人から聞いていました。

光のない世界、暗闇の世界ってどんなだろう?

その世界を、盲人の方のアテンドと共にグループで体験していくのですが・・・
「目の見えない人の世界を体験する」なんて言葉がぶっ飛ぶ、面白さと楽しさと開放感と優しさと温かさとetc.・・・濃密な90分でした。

いや〜、体験ってすごい!感覚ってすごい!

 FBにも書きましたが。。。

一つの感覚を失った状態なのだから、不自由感とか、喪失感とか、欠乏感とか、そういうものに満ちた世界だと思いがちじゃないんですか。

でも、何だろう?
この満ち足りた感じ。無限な感じ。フラットな感じ。いろんなものが落ちてゆく感じ。開いていく感じ。そして、一体感と存在感。

本当に見えていないのは私たちの方ではなかったか?
単に見ていたつもりになっていたのでは?
「つもり」になっていたので、いろんなものをいっぱいこぼしていたのでは?

「見る」のは「目」だけではない。
と鍼をやっている私は、知っていたはず。。だけど、本当は知っていなかった。

この五感が変容する感じ、常識が覆る感じ。

言葉が有限すぎて、もどかしく虚しく感じる(笑)

やっぱ、この世は体験ですね!

予約取りにくくなっていますが、ぜひ体験してください!
大阪でも、6月19日までやっています。大阪の方がチケットあるっぽいですね。

 

人生は面白い。

映画『わすれな草』観ました

映画『わすれな草』見てきました。

認知症になった母親(グレーテル)を通して、家族がもう一度家族になる。

今まで「妻」「母」と思っていた人の記憶が、混濁し薄れボツボツと無くなっていき、段々とそうでない人に変わっていく。その過程の中で、家族は戸惑い、悲しみ、抵抗し、諦め、受け入れる。
認知症になったことから、初めて知る妻の氣持ち、自分が生まれる前の父母に出会う息子。

慣れ親しんだ人が別人になっていく様は、病だと頭ではわかっていても、切ない。悲しい。

グレーテルは、おそらく、認知症になることでしか表現できない何かを持っていた。
もう自分も忘れてしまった大昔の何か。忘れてゆくうちに浮かび上がって来た何か。
それらは、表現されたがっていて、ずっと待っていたのかもしれない。

認知症になったおかげで、彼女は本当に自由になったのかもしれない。

やっぱり、最後は「愛」か。結局それか…

なんでも「愛」って持ち出す自分に少しの居心地の悪さも感じつつ・・・
でも「愛」、なのだ。

「愛」という言葉は使い古され消耗され、薄っぺらな響きを感じつつ・・・
でも「愛」、なのだ。

浅くて深くて、鋭くて大らかで、俗から聖まであらゆるものを包含している。

だから、形は一つだけじゃないし、正解も一つだけじゃない。
と、「愛」は教えてくれるのだ。 


映画『わすれな草』予告編

私の祖母も、晩年は認知症が出て寝たきりになり、最期まで自宅で過ごしそこから死にゆきました。

自宅で介護し看取るには、今の核家族主体の構成では難しいことの方が多いでしょう。介護を、家族内だけの問題にするにはあまりにも大き過ぎます。

とはいえ、「家の中」という生活の場で生死老病があることは、大事…とも思っています。

当時高校生だった私は、母が主に担っていた介護に積極的に関わっていた、とは言えません。
それでも一つ屋根の下にいたことは、確実に私の生活の一部になっていて、私の「いのち観」に深く織り込まれています。

病の匂い、人のいのちの火が衰えていく氣配、いのちが去った後のからだの感触、周りの空氣。。

それらは「忌むべきもの」ともされる場合がありますが、その奥に流れる循環、この世と「あの世」と呼ばれる場所を流れる循環の感覚を、私にたくさんもたらしてくれました。

映画の終わりに、娘とその息子(孫)二人が、いのち消えゆくグレーテルに、スープか何かをスプーンで飲ませているシーンがあり、二人の孫は「次は僕がやる」と自然に、そして少し楽しげに、おばあちゃんの口にスプーンを運んでいました。

そして、子どものような笑顔の母親グレーテル。

言葉で括るのは不可能で、言葉を超えたところでつながるもの、それがいのちなのかな…

静かな涙と温かい胸とともに、映画館を出ました。

 

そういえば、今年に入って観たドキュメンタリー映画はどちらもドイツ語だ。
こちらの『わすれな草』と『0円キッチン』(『0円キッチン』は英語ナレーションですがドイツ語の部分も)。

 

人生は面白い。

前世療法で鍼?!

先日、今更な感じはあったのですが、シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を読み、ま〜これはこれで面白かったのですが・・・

その後連続して読んだ『ダンシング・イン・ザ・ライト』が、ツボリました、今の私に。

その最たる理由は、「鍼」です。

なんと!シャーリーは、鍼を使ってサイキックセラピーをするというクリス・グリスコムのところに行くのです。クリスは前世療法に鍼を打つのです。

鍼で前世療法?!
ビックリです!雷に打たれました!ビビビビビ〜〜〜ンン!!!です(なんのこっちゃ)。

クリスは、指導霊とコミュケーション取りながら、オーラの状態も見ながら、鍼を打っていました。ま〜、彼女はサイキックなのですね。

そのような鍼が私にすぐできるかは別として…鍼の可能性に関する私の認識が、ドッド〜ンと広がったのです。

肉体 (Physical) 及び精神 (Mental)レベルに対する鍼の効用は感じていました。が、魂 (Spritual)レベルに対しては間接的な影響だろうな〜という風で、うすらぼんやりしていました。(こちらは私の妄想wですので、証拠はありません。ご了承ください。)
しかし、ですよ。前世療法できるんだったら、魂レベルに鍼が働きかけている!ということですよ。
ほんと、ズド〜〜ンですよ!(意味不明な擬音語…)

認識が変わると世界が変わる、と申しますが、まさしくそんな感覚の今週でした。

もちろん、鍼以外でいっぱい打たれた部分もありますよ!の中から引用します(強調は引用者追加)。

「(略)体は何から何まで覚えているからよ。魂の刻印はあらゆる細胞一つひとつに押されているの。(略)よいとか悪いとか判断せずに、自分の体験をそのまま受け入れた時、私達はさらに高次の理解の下で行動を始め、波長も高くなってくるのよ。体と心と魂が、こうして一体化し覚醒するの」 (p.355)

「(略)体こそ、なぜ私達がこの地上、つまり質量の次元、経験の次元に存在しているかを知る鍵なの。体は決して嘘をつかないでしょ。病気の時も心配している時も、痛みを感じている時も、ちゃんと教えてくれるでしょ。体はなんでも知っているのよ。私達は、十分体に耳を傾けていないのね。(略)」 (p.356)

ワイルダー・ベンフィールドという有名な神経外科の研究者によれば、(略)心はどこにもかしこにも存在しているーー筋肉にも、組織にも、細胞にも、骨にも、器官にも、存在しているのだという。体の中には、心とその他の意識の分離はあり得ない。すべてが一体なのである。 (p.374)

一番大切な愛とは、自分自身を許し、一人ひとりが自分自身の存在そのものと恋に落ちるということなのだ。(p.427)

死そのものが問題なわけではない。それは、体験するための手段ー肉体ーを奪い取るということ、つまり、最大の宇宙的な罪なのだ。神へ達する唯一の道は、地上における肉体に生じるカルマ的な体験なのである。他人を殺すということは、魂が神を発見する機会を奪い去ることなのだ。 (p.428)

「(略)求める、ということは、完全の中の一部なのです。そして、我々が住む不完全の世界には、常に調和への追求があるのです。それこそ、我々が不完全な世界に住む目的なのです。不完全であってこそ完全なのだというパラドックス(逆説)なのです。(略)」 (p.436)

「体の痛みはすべて」(略)「それに病気も、まだ解決されずに残っているカルマの不純物なのだよ。そのカルマが何かわかると、体内のエネルギーが自由に流れ始めるのさ。カルマから自由になればなるほど、体の痛みも病気も無くなるのさ」 (p.445)

「悟りはどんなに卑劣に見える人でも得られるものなんだよ。一人ひとり、その人に必要な魂の戦いをしているのさ。他人のことはわかりもしなければ、ましてや非難や批判なんてできるものではないのだよ。宇宙の一つひとつの魂が神の一部なんだからね」(p.446)

「どうしてあなたに、クリストファーに肉体の中にいて欲しいという権利があるのですが?彼にはあの世でやらなければならないことがあるのですよ」
(略)
「彼は決して死ぬわけではないのです。彼のペースで彼の道を行かせてあげなさい。誰も、他の人のしていることやその理由を、本当の意味で理解することはできないのです」 (p.451)

こちらの本『ダンシング・イン・ザ・ライト』 ですが、そういえば、ビョーク主演の映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』好きだったな〜、と思い出しました。
ちょっとタイトル似てない?

 

人生は面白い。