なんだか知らんが、たわいもない一言に、胸が痛むときがある。
それは、「胸が痛む」ような感動、のときもあるし、
「胸が痛む」ような悲しみ、のときもある。
違う感情なのに、身体が認識する感覚は似ている。詳細に見れば、異なるのだけれど。
先日、久々に、胸が痛むような悲しみを感じた。
それのとき、相手には、傷つけようとか嫌な気分にさせようとかいう意図もなかった、ということはわかっていた。
そう、私が勝手に、傷ついた気分になっていたのだ。
と、ここまで、できうる限りに俯瞰して、できうる限りに分析した。
この段階で消えていくものもある・・・
のだけれど、何時間も前に放たれた言葉は、まだ矢のようにブッツリと胸に刺さっていた。
「痛い、痛い、痛い」と胸をさすっていると、
涙が出てきた、嗚咽が出てきた。まだまだ涙は止まらず、しゃっくり泣きが出てきた。
その波がひとまず収まって、しばらくすると、第二波がやってきた。
あえて、止めようとしないで、その波が来るがままに乗っていった。
続けて乗っていくうちに、波の振幅はだんだんと小さくなり、そして消えていった。
気がつくと、胸の痛さは消えていたのを感じた。横隔膜が緩み胸の空間が広がったのを感じた。
そうなったとき、「あ〜、泣きたかったんだ」と気がついた。
私が、というより、私のからだが(ま、それも私ですが…)泣きたかったんだ〜、と。
ボディサイコセラピーのトレーニングに参加していたとき、ある先生が「感情というと心のように思うけれど、単なる身体の反応なんじゃないか?」というような提言をされていて、ほほ〜っと興味深く思ったことを覚えている。
その提言を思い出した。
例えば、頭に緊張があったら、それを「怒り」と心は認識するかもしれない。
あるいは、胸にこりがあったら、それを「悲しみ」と心は認識するかもしれない。
その逆もある。
感情を感じたくなくて、身体の症状として認識することもあるだろう。
例えば、怒りを感じたくないから、「腰が痛い」のかもしれない。
あるいは、悲しみを感じたくないから、「すぐ咳き込む」のかもしれない。
いや〜、人間のからだって面白い。
そんな胸の痛みのこともすっかり忘れていた数日後、あるとき思い出した。
あの胸の痛みは「気滞」の痛みか〜。
無意識に感情に無自覚になっていることがあって、それが小さな気滞を生み、
その気滞に、ある人が言った言葉がつっかかって、気滞がさらに大きく育ち、
それを悲しみとして感じ、胸が痛くなった、という経緯でしょうか。
このとき、感情に対して無自覚だったら、からだの痛みしか感じないよね〜。
感情とからだが分かち難くつながっていることを実感した、最近の一件でした。
Photo by Darius Bashar on Unsplash
人生は面白い。
※お得なタオパッチのキット「免疫システムブーストキット」が登場しました!!
ウェブサイト:東京都 神楽坂・西荻|はり灸 一香堂|鍼灸でいのち磨き
タオパッチ:量子デバイス | 鍼灸師がタオパッチのリモート相談 | タオパッチ体験会@神楽坂
Facebook:はり灸 一香堂 - ホーム | Facebook
Twitter:はり灸一香堂@神楽坂の古民家 | Twitter
Instagram:http://www.instagram.com/hitokadoh/