トーンポリシング(Tone Policing)、勝間和代氏のブログで初めて知りました。
katsumakazuyo.hatenablog.com
紹介されていたのはこちら。
note.mu
Tone Policingとは(批判を)黙らせる戦法です。
特権を持つ人達によって用いられる周縁化された個人やグループが彼等の抑圧体験を共有することを妨げるための手段です。
メッセージそのものではなくメッセージに付随する感情を批判することで議論を脱線させるという風にTone Policingは機能します。
内容見てみたら、私もこういうことしていたかも…と思い当たることが多々あり。
人の生の感情は、ときに恐ろしい。
特に自分が無意識に抑圧していた感情を目の前で見せられると、いてもたってもいられなくなる。ものすごい居心地が悪くなる。
その居心地の悪さから、自分も感情的につられて感情にまかせて対応してしまう、ってことはしばしばあります。急に不機嫌になったり、怒り出したり。
トーンポリシングは、その居心地悪さを冷静な「批判」に変えるんですね。
感情と理性は共存できないー理性的な議論は決して感情を伴わないものだーという考え
。
「そんな感情的だったら、もう聞かないよ」「そんなに感情的な人は、意見を言う資格がない」っていう風ですかね。
よくよく読めば読むほど、familiarな感じが…
「話聞くよ〜」などと言っておきながら、感情を表現することは許さない、みないな。
そういう態度、していたかも。
何故ならば、感情と理性は共存できないという思い込みを、私も持っていました。
感情と理性、確かに共存はしづらい、かもしれません。
でも、共存する可能性が全くないか?と言うと、そうとも言い切れない。
そう考えると、少し自分の中にスペースができました。
感情と理性は共存する可能性がある、というアイデアが生まれたら、そのスペースから生み出されるコミュニケーションは以前とは違ってくる、はずです。
今まで「感情」「理性」だと思っていたものも変容されてくる、はずです。
ま〜、これらは今の所、乞うご期待ってことで。
無意識って、ほんと無意識なんですな〜。
自ら氣がついていく、と簡単に言いますが、自らの存在だけではそうそう氣がつけるもんでもありません。
そこで必要になってくるのが、外の世界、他者の存在、なんですね。
よく「他者は鏡」とは言われますが、ほんとその通り。
鏡を見ることで、自らを認識する、わけなんですね。
初めて認識した自らに出会った、朝でした。
人生は面白い。
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