いろいろな人がいろいろなところで書かれた、いろいろな記事や投稿を読んでいて、自分の言いたかったことがズバリ書かれていたブログを発見しましたので、シェアします。
二週間ほど前、憲法カフェに行ってきました。映画『不思議なクニの憲法』にご出演されていた、あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)の弁護士、竪十萌子(たてともこ)氏が講師でした。
確か、第25条だったと思います。
第25条【生存権、国の社会的使命】① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
多くの人は「自分には関係ない」と思っているかもしれない、生活保護費。
竪氏は「国が決めた『私たち一人ひとりの値段』」と例えられました。
私たちが健康で文化的な最低限度の生活を営む
ためにこれぐらい必要でしょう、というのが生活保護費なんです。
この例え、すごく身にしみました、すごく腑に落ちました。
「生活保護費を削減しろ!」という声は、私たち一人ひとりの価値をどんどん値引きしていること。
使えるお金は決まっています。
限りある予算をどのように配分するか、何に使うか、を見ると、その国(政権)の考えが見えてくる、ってことですね。
私も今まで「生活保護費削減か〜。大変だな〜。」くらいしか認識がなかったのですが…
『私たち一人ひとりの値段』と考えると、もっと怒っていい問題だよね。
もっと憂うべきことだよね。
徐々に「個人」をどうでもいいという国になっていってるってことだよね。
不必要に不安を煽ることはしたくないけど、知らぬ間に、人が個人として生きていかれない風になってないか??
杉田議員の意見は、LGBTについて、だけれど。
「生産性のない人に税金を使う必要はない」という考えから出てきた発言な訳で。
生産性あるなしで、私たちは見られている。
ま〜、会社など営利目的の集団ではそういうこと、あるでしょう。それだけであって欲しくはないけれど、「生産性」の高い人にはお給料いっぱい出す、ことは妥当性があります。
でも、国は営利団体、ではないはず。
機を同じくして、やまゆり園事件から2年経った、という記事。
人は個人として尊重される。
その意味を、私たちはまだ知らないのではないだろうか?
その重さ、その大切さを、私たちはまだわかっていないのではないだろう?
日本人は和を尊ぶ、とよく聞きます。
「和を尊ぶ」、素晴らしいことです。
でも…
「和」を尊ぶために、「個人」を殺していいわけではないし、「個人」をないがしろにしていいわけではない。
「個人」がちゃんと在るから、「個人」がちゃんと立っているから、そこに「和」が生まれるのでしょう。
和 ≠ 同じような人の集まり、のはず。
みんなそれぞれ違った人たちだからこそ、「和」は生まれ、その生まれた「和」は美しいのだと思います。
人生は面白い。
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