先日読んでいた本に、「治療」と「治癒」は同義ではない
、という言葉がありました。
「治療」が病気の状態を完全に生物学的に解決することを意味するのに対し、「治癒」は、心、魂、肉体の各レベル、そしてときにはそれらすべてにわたる、回復と再生のプロセスを意味する。
治癒は治療よりもはるかに包括的である
、とのこと。
確かに…大いに同意するところです。
いのちにとって大切なのは「治癒」ですが、それは「治療」からもたらされるもの、とは限りません。もちろん治療からのものもありますが、絶対に治療からもたらされる、というわけでもありません。治療を受けなくても治癒がもたらされる、ことはあります。
そう思っているのですが…
つい、治癒の前に治療のことが氣になります。治療のことだけを話してしまいます。
つい、目の前の病いに対して、目の前の「人」に対して、「治療」のメガネを通してしか見ることができなくなっている、ことがあります。
それは大事なことで、ある意味「プロフェッショナル」な態度と言えなくもない。
けれど、知らぬ間に「治療」という枠に囚われていて、つい、忘れています。
もっと大きな存在があることを。
大切なのは、治療の先にある「治癒」であることを。
当たり前っちゃあ当たり前なのだけれど。知らぬ間に忘れてしまいます。忘れていることすら、忘れています。
だから意識的に意識する必要が、私にはあります。
鍼はからだに打ちますが、そのからだは「からだ」のみの存在ではないし、「からだのその先」までにも届けよう、という意識。
「からだのその先」と言う前に「からだ」に十分届いているのか?と問われれば、・・・。その点はひきつづき精進いたします。
治癒がすべて治療の結果ではない(治療以外の結果でもありうるし、または混ざっている)ならば、治療者が治癒をもたらす、のではない。
治癒がどこからやってくるのか、と言えば、治癒される人(病人)自身です。
その人自身にとって治療者は、伴走者のようなもの、応援するサポーターのようなもの、相談者のようなもの。
だから、治療者にすべて支配されている感じ、すべて言いなりの感じは、ちょっと違うでしょう。
とはいえ、お任せしないとできない治療もあるので、そのときは我が身をお預けするしかない。
自分の「お任せ」が信頼感に基づいているのか?従属感に基づいているのか? これって結構微妙…判別するの難しいです。
自分が弱っているとき、立場的に弱いとき、平常時とは違いますから。
「自立して考える、決める」ってこと、言うほど容易くないでしょう。
そういったこともシェアできて尊重してくれる人が治療者だったら、一緒に「治癒への道」を歩いていけそう、ですね。
・・・と相変わらず着地点ないまま、治癒と治療について思ったこと、ツラツラ書きました。
皆さんのいのちがすこやかでありますように。
いのち磨きのお手伝いいたします、一香堂より。
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