何かを選ぶとき、決めるとき、わけも何も考える間もなく、氣がついたら選んでいた、決めていたってことがある。
そうせざるを得ない…
って書くと、しようがなく致し方ない、渋々って空氣が漂うが、そうではなくて。
それしかないって感覚、だろうか。
そういうときの感覚って、実は未来から来ているんじゃないか…
来ている・・・というより、そこには未来も同時に存在しているんじゃないか…
その時それを選んだり決めたりしている私の、顕在意識には上ってきてはいないから、今の私が選んだり決めたりしているように見えるし、実際そう思っている。
でも、本当は未来の私も一緒に選んだり決めたりしているんじゃないか。
映画『メッセージ』(原題は"Arrival")の原作本ですね。こちらの映画を観て「原作読みたい」と思ったのですが、原作は短編小説でした。
主人公のルイーズが仕事後、同じ調査メンバーのゲーリー(ルイーズは未来の夫であることを知っている)に彼の家で「一緒に夕食を食べよう」と誘われ、夕食の材料の買い出しにマーケットに行く場面があります。そこで、ルイーズが不意に目についたサラダボウルを思わず手にとります。そのとき彼女は、これからゲーリーとの間に生まれてくる娘が三歳のとき、そのサラダボウルを頭の上に落っことしてしまう未来も、同時にわかっているのです。
わたしは手をのばして、棚からそのボウルをとった。その動きは、そうすることを強いられたものとは感じられなかった。そうではなく、ボウルがあなたの頭に落ちてくるときにそれをつかもうと躍起になるのと同じ切迫感だったと思う。それに従うのが正しいと感じる本能のひとつだと。 (p.254)
この部分を読んだとき、冒頭に書いたようなことが浮んだのでした。
ルイーズは、異星人ヘプタポッドとの交流を重ねていくうちに、同時的認識の感覚が開かれてきます。
未来がわかっている人間は、その未来に抗う選択をするのか、それともそれをなぞる選択をするのか?
人は、今世のブループリントを決めてきて、生まれてくる、と言われます。
でも生まれるときに、そんなことはすっかり忘れてしまって、人生を生きていきます(忘れずに覚えている方もいますが)。
生きていくうちに、そのブループリントがわかる場合もあります。
そういうことが起こったら、このルイーズの同時的認識の感覚と近い状態なのかな、とも。
本のタイトルになっている『あなたの人生の物語』のほか7編の短編が収録されています。どれも面白かったですが、だいーぶ迷うけどあえて言うなら『七十二文字』が好みです。
そういえば、久々にSF読みました。アイザック・アシモフとか読んだな〜。何読んだか忘れたけど(笑)。
人生は面白い。