一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

ネガティブ・ケイパビリティを育てよう

今まで漠然と認識・理解していたものが、それをぴったり表す言葉に出会うと、途端に生き生きと息づいてくる瞬間ってありますよね?
今までモヤのようだったものが、しっかり輪郭を帯びて、自分の世界の中で存在を主張し始めてくる。

この本のタイトルになっている『ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)』もそんな言葉のひとつ。

この言葉を生み出したのは、詩人のキーツ

キーツは、シェイクスピアが「ネガティブ・ケイパビリティ」を有していたと兄弟宛ての手紙に一度だけ書きました。「それは事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」を彼はそう表しました。

キーツは、真の創造行為にはネガティブ・ケイパビリティが欠かせないと氣がつきました。彼自身も「『私が発する詩的言語は、一語たりとも私の個人的な性質から派生したものではない』と断言し」ています(強調は引用者追加)。

「私が部屋の中で他の人々と一緒にいるとき、自分の脳が創り出すものにはとらわれず、私自身を私に帰さずにいます。すると同席しているひとりひとりのアイデンティティが私に迫って来て、ほんの一瞬、自分が無になるのです」。 (p.145)

創作活動がエゴの部分から為されたことではないことがわかります。

創造(ラテン語でcreatio)の原義はto bring into beingで、「(無からこの世に)存在させる」です。まさしく、神の業だと言えます。つまり創造行為は、人間が神の位置に立って、無から有を生じさせる営為なのです。 (p.141)

無から生み出す、とよく聞きますが、その「無」は、単に物質的に「無」ということだけではなくて、もっと深遠なことも含んでいるようです。

その後このキーツの言葉に唯一注目したのは、精神科医精神分析医のビオンでした。

精神分析に限らず、人と人との出会いによって悩みを軽減している精神療法の場において、ネガティヴ・ケイパビリティは必須の要素だと、ビオンは考えたのです。(p.38)
つまり、不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です。(中略)
ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表しようのない、非存在の存在です。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけます。 (p.58)

現代教育は「ポジティブ・ケイパビリティの養成」、「平たい言い方をすれば、問題解決のための教育です。」全部が「早く早く」の世界です。

問題解決力があれば大丈夫、と思われがちですが、実は「解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく」ネガティブ・ケイパビリティがあるかどうかが、それ以上に大切なことです。

著者の帚木蓬生氏は精神科医でもあり作家でもあります。
ネガティヴ・ケイパビリティを、文学の側面から、治療の側面から、教育の側面から、宗教の側面から、政治の側面から、語っておられます。

治療家の端くれとして、私も実感するところ多々ありました。

いのちあるものと対峙するときには、ネガティブ・ケイパビリティは必ず必要です。「我を忘れる」や「委ねる」は、ネガティブ・ケイパビリティのある状態ですね。
そこに大いなるものが流れこむ。

「ネガティブ」と言っていますが、大いなる視点からみると、逆にポジティブなんじゃないでしょうか。ま〜、究極的にはポジもネガもないですけどね。

 

人生は面白い。