『鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす』、『日本鍼灸へのまなざし』などの著者、ジャーナリストの目線で日本鍼灸についていろいろ書かれています、松田博公先生よりシェアいただいた動画です。
松田先生のご紹介メールを引用します(強調は引用者付与)。
小渡(おど)さんは、ブラジルで日本鍼灸の定着に努力しています。その奥さんビクトリアが、原住民と小渡さんの治療コラボのビデオを送ってくれました。シャーマンが、小渡さんのからだに、幻覚剤のカエルの液を塗っています。一種の幽体離脱がおこり、世俗的な欲望を超越した新しい人格になるとのこと。「移精変気」ですね。小渡さんは、なんども、体験されていると伺いました。彼はまさに、そんな無私のひとです。
言語がポルトガル語(ですよね?ブラジルだから)なので、内容がわからないのは少し残念ですが…(どなたか英訳か和訳できる方、いたら嬉しいです!)。
ネイティブの皆さんが鍼やお灸を受けている風景、いいですね〜。なんとも不思議な空氣が流れています。
おそらく、私たちよりも「氣」の感度が高いのでは…鍼灸の感受性もよろしいのではないか、と想像してしまいます。
「移精変気」という言葉、知りませんでした。古典を読んでいないのがバレバレですわ(汗)
『黄帝内経素問』に出てきます。「移精変気論篇第十三」。
読者登録している「鍼灸医学の懐」にもちゃんと載っておりました。全然関係ないことですが、このブログが書かれた日付7月17日って私の誕生日!読めってことですね。
こちらの先生曰く、
本篇は、東洋医学の最も東洋医学たらんとする。核心部分について触れていると感じている。
筆者にとっては、特に思い入れの大きいところで、ここで述べられていることを治療の軸に据えようと、これまで努力してきたからだ。
これ知らずして鍼灸師と名乗るな、とでも言われそうな勢いです…
移精変気論の始まりの一文にその言葉は出てきます。
黄帝問曰.余聞古之治病.惟其移精變氣.可祝由而已.
(書き下し文)黄帝が問うて曰く。余は聞くに、古の病を治するや、惟(ただ)其の精を移し氣を變じ、祝由して已(い)ゆ可しと。
こちらの訳だけ見ても、いろいろ違います。
黄帝が問う。
「いにしえの時代の病気の治療では、
ただ病人に対して精神を動かし気の運行を変えるという
一種のまじない的な方法だけで病気がよくなったと
私は聞いたことがある。一鍼堂さんのブログより。
黄帝・・・「昔の人は病気が精神療法で治せたが、(略)」
東洋医学雑談より。
皇帝が聞く
「昔の病の治療は巫女さんやまじない師が術を施すだけで治ったと聞く。(略)」ミズホ薬店さんのブログより。
黄帝「昔の病気治療といったら、まじないで十分治ったそうだが、(略)」
ヘンテコ医学史漂流記より。
「まじない」「精神療法」は祝由
に相当する意味でもあるので、精神を動かし気の運行を変える
という一鍼堂さんの訳が移精変気の直訳でしょうか。
そして、最初にご紹介した『鍼灸医学の懐』の意訳は、以下の通りです。
黄帝が問うて申された。
余は、いにしえの治療方法は、ただ単に、偏った精の重心を元に戻してやり、病者の気持ちを変えるために、神前で祝詞を上げ、病となった由来を神のお告げによって賜わっていた。
そして神のお告げにより病者は、心に秘していたあらいざらいの一切を、神に告げ、自己を改め許しを乞うことで、心身共にすっきりとし、自然に病も癒えていたと聞いている。
精霊や神の存在を直に体感していただろう太古の人たちの様子が目に浮かぶような意訳です。
こういう解釈を「非科学的」として無視してしまうことは簡単です…が。
そもそも「いのち」は科学で測れるものではなく、人智を超えた力を備えているもの。その力(神と呼んでもいいかもしれない)を含めずして、「いのち」を語ることはできないと思うのです。
すでに『素問』が編纂された時代に、「古の人に比べて今の人は治りづらい」と言われています。
今世治病.毒藥治其内.鍼石治其外.或愈或不愈.
では現代の私たちってどうなの?さらに「いのち」にとって厳しい環境を生きているのでは?
そんな私たちに『黄帝内経』の言葉は響き続けます。
いま読んでも少しも古く感じない、まるで「今」の私たちへの言葉であるように聴こえるのは、本当に驚きです。
黄帝内経、おそるべし!!
(追記)
こんな可愛らしいのもありました❤︎ ameblo.jp
こちらの動画は『黄帝内経素問』第一篇上古天真論を元にしたお話です。
東洋医学絵本 やわらか黄帝内経素問 知りたい王様
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