昨日ある友人と話をしていて、ふと思ったこと。
彼女は、ご家族ぐるみである宗教を信仰していて、大事な決断をするときにご神託(正確な呼び方は覚えていないけど、そんな類のもの)を頂いたり、時間があれば行事にも参加したりしている様子 。
ご神託のことに話が及んだとき、彼女は言いました。
人には考え癖、思い癖があるから、そういうものを超えたところからの言葉を聞くことは大事。偏った判断にならないから。
思わずハッとしました。
そうか〜〜!私がセラピーとか心理学とかを使ってやっていることを、彼女は信仰を通してやっているのだ…と氣づきました。
自分がどう認知しているかによって、世界の有り様は変わります。
同じ出来事をどう捉えるか、人によって千差万別です。
苦しいとき、煮詰まっているときは大体、自分の世界に固執してドツボにハマっている。でも、そのことがなかなかわからない。
そんなとき、自分を外から見える目を持っていれば、自分のドツボ状態を客観視でき、彼女が言うところの「自分の癖」もわかってそこから抜け出しやすくなります。
友人は、信仰を通して、自分が 「神の目」で見られていることを意識する。それが、自分の中の、客観的で超越的な視線を育てるのだ。
と、ぼんやり考えていました。
結局、宗教「いい」vs「悪い」の二元論を超えて、そこにいる人の在り様をみるようにしたいものです。
(神楽坂出張所の窓からみた柿の木)
人生は面白い。