東日本大震災のあと、しばらくして、ふと思いました。
「このいのち、使わなければ」「使わなければ、死ぬに死ねない」
思いました、と書いたけれど、衝動に近い感じ。
11歳の夏休み、ふと湧いてきた問いかけ。「なんで、あたしは生きているんだろう?
当時「死にたい」って思っていたわけでも、生きるのに疲れたってわけでもなく、その時の私にとっては、「今日の晩御飯、何かな?」と同じくらい自然に出てきた問いかけでした。
その年の夏休みは、暇さえあれば、自宅の二階の北側の窓から、青い田んぼと裏山をぽけ〜っと眺めながら、考えていました。
「なんで、あたしは生きているんだろう?」
今思うと、その問いかけ自体が生きていくエンジンになっていたのかな、と思います。「知りたい」から出てきた問いかけではなく、日々生き続けていくための問いかけ。
今の私はなんて、答える?
あの頃の私を納得させるような答えは、まだないんだけど、ただ、いのちは生きたがっているってこと、はっきり感じるよ。
生きたがっている、いのちをどう使う? いのちはどう使われたがってる?
その答えは、私だけが知っている…のでしょう。たぶん、きっと。
人生は面白い。