私のからだ、こころに、いろいろ起きた2日間だった。
いろいろ浮き上がっては消えていった2日間だった。
理解し認識し解消したと思っていた様々なことが、自分の大きな事から小さな事まで全てに影響をあたえていた。
日常、私達は、よくも悪くもいろんなことをシャットダウンして、生きている。
それらは、見なくても聞かなくてもいいことでもある。
そうしなくても、別に生きていられるからだ。
ある日、見なくても聞かなくてもよかったもの達が氣になってくる。
あるいは、それらに直面せざるを得なくなる。
ある人は、そのことを「危機」と呼ぶかもしれない。
ある人は、そのことを「パンドラの箱を開けてしまった」と言うかもしれない。
逃げたい。避けたい。
でもそうしていると、さらにきつくなる。
からだも緊張し、喉に、胸に、お腹に、なにか詰まりを感じる。
どうにも、心の鎧を脱がないことには、からだがますますおかしくなる。
鎧を脱ぐ前が大変だ。
だって、自分が鎧をまとっているってことにも氣がついていないのだから。
何かあるのだが、それが何だかわからない。
ある瞬間、それはふっと浮上した。
ひとつ浮上すれば、次も。そのまた次も。
氣がつくと、心の鎧は剥がれたようだ。
ふと氣がつくと、肩につきささっていた棒のような緊張が溶けていた。
お腹の詰まりもなくなっていた。霧のようなもやもやはまだその辺りに残っているけれど。消化する時間が、もう少し必要なよう。
本当に、ひとは、たまねぎのようだ。
幾重にも幾重にもなって、できている。
本当に、キリがない。
でも、キリがないということは、どんどん広がれるし、どんどん高くもなれるし、どんどん深くもなれるし、どんどん精妙にもなれるということだ。
今回、また、自分の中に宝物を発見した。
この機会をもたらしてくれた、トレーナーのリアニ・ズィンクに感謝。
BIPSに感謝。
そして、参加者のみんなに感謝。
今、私の手元にはこの2日間のエネルギーがいっぱい詰まっている一粒のパール。
ワークショップの最後に、リアニからの皆へのプレゼントである。
前日にリアニから宿題があった。
土曜日の夜、見たい夢を書いて、枕の下にいれる。自分が意図した夢を見れたかどうか?というもの。
私はあまり考えず「森へ行って、木の精と一緒にダンスする」と書いた。
私が見たのは、海へ潜っている夢だった。
意図した夢は見れなかったなぁ、と残念に思っていたら…
翌日に、リアニから一粒のパール。
これと海つながりの夢だったのかもね。