hitokadoh姐さんの身辺雑記

人生は面白い。鍼灸師、あれこれ綴ってます。

『もうろうを生きる』を観たあとも難しかった

下高井戸シネマで、『もうろうを生きる』を観ました。

mourouwoikiru.com

盲ろう者とは、目が見えなくて耳も聞こえない人のことです。
ヘレン・ケラーがそうですね。

目が見えない・・・光がない、というのはなんとなく想像できる(あくまでも「想像」なので「わかったふり」でしかありません…)。
視覚以外の、聴覚、嗅覚、触覚で外界と出会うんでしょう。

耳が聞こえない・・・音がない、というのはなんとなく想像できる(あくまでも「想像」なので「わかったふり」でしかありません…)。
聴覚以外の、視覚、嗅覚、触覚で外界を捉えるんでしょう。

目が見えず耳も聞こえない・・・光もなく音もない、というのは想像しようとしても、わからない。頭で、言葉の意味はわかる。でも、あまりにも漠然としていて、私の想像の閾値を超えている。
嗅覚、触覚だけを通してだけ、外界と繋がる。。。て、本当にわからない。

映画では説明は最低限で、一人一人の盲ろう者の方々の生活を見せてくれていました。

印象的だったのは、耳が聞こえない、視野狭窄がある若い女性の方。今は会社で事務の仕事をされていて、一人暮らしだ。
彼女の部屋には「能」の本などがあり、歌舞伎も好きなようで、観た感想を細かにノートに記している。彼女は言う「今見えているうちに、いろいろなものを見ておこうって思っています」。

「ろうの人は『自分はろうに生まれてよかった』と言う人が多いけど、私はそうは思わない。やっぱり聞こえる人に生まれてきたかった。生まれ変わるなら、聞こえる人に生まれ変わりたい」という彼女の言葉に、手話通訳者の方が涙で言葉につまる。
彼女は手話で「大丈夫?」となんども通訳者に尋ねる。
通訳者の方は「『聞こえるように生まれたかった』と言うろう者の言葉を初めて聞いたので、びっくりしたのです。」と。驚きのあまり涙がこみ上げてきたのでした。

彼女の正直な声は、私の胸も打ちました。

だんだん見えなくなって、いつまで見えるのだろうという恐怖は、おそらくいつもあるんでしょう。それを受け入れて(でも受け入れられない思いもあるでしょう…)、「今を大切にしようと思う」と言う彼女の言葉。

なんともいえません。想像するってことも思いやるってことも不可能に感じてしまいます。

この世に生まれてくるのは魂を磨くため。と、どなたかが言っていました。私も同意する氣持あります。
でも、その言葉を彼女に言えるかな?この映画に出てきた方達に言えるかな?・・・と映画を観たあと考えました。私は言えない…な…。当事者じゃない私が言えるわけない。

その後、全国盲ろう者協会のHPを見たら、「盲ろう」と一口に言っても段階があること、それによって使うコミュニケーションの方法も違うことがわかりました。


社会福祉法人 全国盲ろう者協会PV(ロングバージョン)


映画『もうろうをいきる』予告編

予告編にも出てくるご夫婦が夕食をとるシーンがあるのですが、そこの空氣感が好きです。

こういう類のドキュメンタリー映画にありがち(?)な、押し付けがましい訴え感がなく、淡々な感じが、逆に心に残っています。

一人のひとがその人の人生を生きていっているんだ。

「生きる喜びや悲しみ、人生の豊かさという命題を、私たちがいま一度考えるべき時がきていると、強く感じている。」という西原監督の言葉、心が泡だちます。

結局映画を観たあとも、盲ろうの方の世界を想像するのは難しかった…やっぱり想像は想像でしかない…ということを、映画を観る前よりも余計リアルに感じてます。

(月並みな言い方ですが)いいドキュメンタリー映画でした。

 

人生は面白い。