一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

悲しみを癒す「アファーメーション」とは


先日ブログでも書きましたが、こちらの『それでも、あなたを愛しなさい』を読みました。

アファーメーションの本です。

でも、巷でよく言われている「アファーメーション」とはちょっと違います。私自身、今までの「アファーメーション」の認識を改めました。

巷で知られているのは、自己啓発系やビジネス系の、イケイケポジティブで推していく感じ(偏見混じってます)ですよね。
ネガティブな感情を感じたら、とりあえずポジティブなこと言っとけ!的な(はい、偏見入ってます)。

著者のルイーズ・ヘイ(Louise L. Hay)とデーヴィッド・ケスラー(David Kessler)が言っている「アファーメーション」は、「様々なタイプの不幸を体験した時に、それをどのように悲しみ、どのように癒すか」というためのもの。

本に出てくる「喪失」は多岐に渡っています。
失恋、離婚、不倫、愛する人の死、病気、自分の死、ペットの死、流産、不妊、失職、なりたいものになれなかった悲しみ、etc.

誰の人生でも起こること、これらを体験したとき、「悲嘆と苦痛にとらわれずに、あなたに充分に悲しみを感じてほしいというのが」、著者の思いです。
「悲嘆と苦痛にとらわれず」は「悲しんではいけない」ではないし、
「苦痛にとらわれず」は「悲しみの痛みを避ける」ではない

そうなのです。「感情をしっかり味わうこと」が大切だと、「悲しむ時間」が重要だと、説いています。

どんな感情も抑圧したり無視したりする必要はない、と。

エリザベス・キューブラー・ロス悲しみの5段階が引用されています。否定、怒り、取引、落ち込み、受容の5つ。

悲しいとき、これらの感情・反応は出てくるのは自然なことであり、それらを抑圧したり無視したりする必要はないということです。

抑圧・無視した場合、その感情は残ります。

精神科医エリザベス・キューブラー・ロスは、次のように言っています。
「私たちは怒りを感じ、それを通過させれば、2、3分でそれを終わらせることができます。」 彼女はさらに、15分以上感じる怒りは、古い怒りなのだと語っています。(p.5) 
その人が悲しむ用意ができていないときは、用意ができたときに悲しむために、そのまま残ると思います。今だめならば後で味わうのです。いつ味わうかはその人の選択です。そして、自分の悲しみを棚上げすることが必要な時期もあるのです。(略)どんな状況であれ、あまりにも長く棚上げされすぎた時がやってきます。その悲しみは古くなり、きちんと面倒を見てもらえず、怒り始めます。そしてその人の人生にネガティブな影響を与え始めるのです。でもそれがあなたの現実である必要はありません。(p.29)

 「アファーメーション」が働きかけるのは、感情ではなく思考・考え方です。
考え方が変わったとしても、感情は起こります。自然なことです。
でも、その感情に対する考え方、受け取り方は変わります。そして、私たちはそれを選択することができるのですね。

「私たちの思考は私たちの体験を作り出します」
「ひどいことは起こらない、または悲しみが事実ではない、と言っているわけではありません。私たちの思考が喪失という体験を形作るという意味です」
(p.22)
アファーメーションとは、悲しみが存在しない振りをするのとは違う(p.29)
苦痛や痛みではなく、愛を大切にしてほしいの(p.31)
私たちは常に選択できることを覚えていてください。(p.95)
もし、責めず、批判せず、あら探しせずに自分の過去を見つめる勇気があれば、あなたは自分の思考がどのように生じ、それがなんと言っているか、観察することができるでしょう。また、自分の行動の癖についても理解できるでしょう。(p.104-105)

「アファーメーション」は、新しい考え方を見につける「行動」でもあるわけですね。

「頭で考えて新しい行動を見につけるよりも、行動して新しい考え方を身につける方が易しい」(p.108)
「そうなるまでその振りをしなさい」という言葉の意味は、(略)頭と体と魂がすでに自分の中にある真実と一つになるまで、何かを行いなさいということ(p.109)

本の中には、様々なアファーメーションが紹介されています。

自分の中に響いたものがあれば、そのアファーメーションを、
または、今の自分にぴったりくるのを創作して、オリジナル・アファーメーションを唱えてみたら、いかがでしょう?

何かが起こるかもしれません。

ちなみに、今の私に響いた言葉はこれです。
アファーメーションではないのですが、自殺を止める命の電話で10年間ボランティアで働いていたデリックの言葉です。

3つの領域しかありません。私の前庭、あなたの前庭、そして、神の前庭です。できるのは私の前庭を清掃することです。電話をかけてくる人には、愛と尊敬と理解をもって受け答えし、しつも親切と同情をもって接しています。情報を受け取った人が、それをどうするかはその人の仕事です。誰が生き、誰が死ぬかは神の仕事です。それは神の前庭のことだからです。(p.218-219) 

 「平和の祈り」と似ているかな。

hitokadoh-aider.hatenadiary.jp

 

人生は面白い。