一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

日常にひそむチカラ

昨日の、ある勉強会(?)でのこと。 

スピーカーの女性の方が、言いました。
「加害者になりたくない。なぜなら、被害者になりたくないから」
そして、「これって結構難しいんです。」とも。

そうですね…
生きているってこと自体、ある意味、誰か・何かの犠牲のもとに成り立っています。

例えば「食べる」という行為もそう。
植物、動物のいのちをいただいて、私たちは生きています。

ここ日本において、私たちは豊かな食生活の恩恵を受けています。

街では、いろんなお店でいろんな国の料理を楽しむことができます。スーパーでは、世界中の食材を買うことができます。

当たり前のこと、日常のこととなっていますが、よく考えたらすごいことです。

その豊かさは、奇跡的なバランスの上に成り立っているもので、状況が変化すれば簡単に壊れてしまうガラスのような豊かさでもあるのです。

「日本が食料危機に陥る理由がいくつかある」そうです(10年以上前の話として聞いたので、今は違っているかもしれませんが)。

一つは、中国が日本と同じくらい豊かになったら、日本へ食料が回ってこなくなる。

あと、インドも。

もう一つは、アフリカ。
未だに内紛が勃発しているアフリカは、まだマーケットとして認識されていない。
アフリカが平和になり、世界中からマーケットとして注目されるようになったら、日本に食料が回ってこなくなる可能性がある…とのこと。

「だからといって、アフリカが平和にならなくてもいい、というわけでは、もちろんありません!」

日本の豊かさ自体、誰かの犠牲によってもたらされている…とも言えます。

「加害者にならない」日常を追い求めると、今までの日常とは違う選択をせざるを得ないケース、あります。

毎日食べているものは、

誰が作っているのか?
どこで作っているのか?
どのように作っているのか?
どのように運ばれて来ているのか?

食べ物以外にも、今使っているものたち。石鹸・服・化粧品・シャンプー・トイレットペーパー・タオル・食器 etc.

結構たくさんありますよね〜。

だからこそ、毎日の生活をどういう風に思い考え、送っているか?…ということが、私たちが想像している以上に大きなチカラになるのかもしれません。

何を食べるか?
何を使うか?
何を作るか?
何を買うか?
何を話すか?
何を行動するか?

選択する基準は別に「加害者にならない」でなくても構いません。。自分にしっくりくるものがあるはずです。

惰性でなく、催眠状態でなく、盲目的でなく、

意識的に、目を覚まして、
自ら考え、決める、
選択する。

それで、たぶん、世界は出来てくる…はずだよね。

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人生は面白い。