一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

『神話の力』 Vol 5 愛の女神


『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル × ビル・モイヤーズ Vol 5 愛の女神

「愛」と一言で言いますが、「愛」にもそれぞれ種類があったり歴史があったりするようです。そして、それは、ときには1種類の愛だったり、またあるときにはそれぞれがブレンドされた愛だったり。

「愛」と言ったとき真っ先に思い浮かぶのは、「ロマンス」としての愛でしょうか。
キャンベルによれば、“愛を個人と個人との関係として最初に捉えたのが、彼ら吟遊詩人” (3:15) でした。“自分の魂の半分が誰か他の人間の中にあるという認識、そこから生まれる魂をひとつにしたいという欲求、吟遊詩人はそういうことをはっきり歌いました。”

それ以前の愛は、「エロス」(人間を性欲へと駆り立てる神)でした。“エロティックな生物学的衝動”とキャンベルは定義しています。“お互いの肉体への欲求” であり、そこでは個人の人格など関係ありません。”

また、エロスに対する「アガペー」という愛もあります。“精神的な愛であり、「汝の隣人を愛せ」というキリスト教的愛のことです。” (4:56)

アカペーもエロスと同様に、相手を限定しない愛です。

個人対個人の愛は、新しいものなんですね。
中世の社会では、個人と個人が愛し合うには勇気が必要で、それが伝統に立ち向かう勇気にもなったわけです。それによって、個人を重視するという考えが西洋の社会に根付くことになった、とキャンベルは語っています。まさに愛は命がけなんですね。

このあと、ペルシャに伝わる悪魔(サタン)の神話が続きます。(11:37)

悪魔(サタン)は元々天使でした。
神はまず天使を創って、神だけに仕えるよう天使達に言いました。それから、神は人間を創った。神は、人間を天使より高等なものと見なし、天使達に、今度は人間に仕えるよう言いました。しかし、サタンだけは人間に仕えようとしませんでした。
キリスト教の伝統的な教えでは、サタンの利己主義のせいで、人間に仕えなかったとされていますが、“見方を変えれば、サタンは、あまりにも神を愛していたために、神だけにしか仕えることができなかったのです。” (12:44)
そんなサタンに、神は「消え失せろ!地獄へ落ちろ!」と言いました。

“恐ろしい地獄で何が最大の苦痛かといえば、愛するものの不在、つまり、神が身近にいないということです。”
では、どうやって悪魔はその地獄の苦痛に耐えたか?
“「地獄に落ちろ!」と言われたときの、こだまする神の声を思い出しすことで、悪魔は地獄に耐えたんです。それこそ、大いなる愛だと思います。” (13:06) 

この回のなかで、この悪魔の神話に心つかまれました。キャンベルが「愛は苦痛だが、愛に苦痛がないとも言える」(11:35) と言っていましたが、まさしくそれです。この神話では、悪魔こそが愛の体現者となっています。悪魔が健気過ぎて、泣けてきます。この話を知ると、悪魔にも人間を憎む理由があったのだと思うのです。
いやー、神話ってすごいですね、奥深いですね。善悪が書かれているけど、善悪を超越したものも含んでいるような・・・

後半 (19:00) は、母としての象徴、女神、処女降誕などについて語られており、さらに、内なる男性性・女性性 (38:30)、神と人との一体感、宇宙まで、話が及びます。

なんと壮大だ。でも、全ては陰陽。陰陽、万歳!!


 

人生は面白い。