hitokadoh姐さんの身辺雑記

人生は面白い。鍼灸師、あれこれ綴ってます。

女性の足を蹴ったおかげで

週末、田町を歩いていたとき、誤って女性の足を蹴ってしまいました。

細かくいうと、その女性は急いでいたようで、追い抜いて私の前に入ってきたところに、私の一歩が彼女の足に当たってしまった、という感じ。

私から見たら、足を踏み出したところにたまたまあった彼女の足に当たった。
一方、彼女から見たら、足を蹴られた、ということになるんでしょう。

足が当たった瞬間、彼女は「痛!なっに〜!?」と私のほうを振り向き、そして、よろめきながらコツコツと歩いていかれました。

キレイな服で、靴は10センチのハイヒール、メイクもばっちりの、スレンダー・レディ。しかし!!その振り向いた顔がすごい形相(恐)

キレイな身なりと違いすぎる恐ろしい形相におののいた私は「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」と、自分でもおかしくなるくらい何度も謝まりました。

彼女は、私を一瞥し、ぷいっと前を向き、歩き去っていきました。そして、数メートル先に行ったところで、彼女は「もう〜!!」といいながら、蹴られた足をパンパンと叩いて、また歩いていきました。

ここまで、前振りです。

初めは、「ちょっと足当たったくらいで、あんなにぷりぷりしなくてもね〜」と、一連の彼女の行動を冷ややかに見ていました。

そのうち…

「あれれ?なんか、これ見たことある」デジャヴ感ですよ。
そうそう、あの彼女、いつぞやの私だわ!不意に足蹴られて、キレていた私だわ!私の顔も、あんな恐かったんだ〜。
とね、いろいろ浮かんできましたよ。

そう気がついたら、若干軽蔑感を持って冷ややかに見ていた相手も、彼女ではなくて、自分???

なんだか、腑に落ちました。

私が、外に見ている世界も、実は私なんだ。だって、私が見ているんだから。
起きていることはすべて、自分が起こしている(引き寄せている)って自然のこと。だって、それらは自分なんだから。

どなたが言っていたが、「自分を知りたかったら、世界を見よう」という言葉。世界を見れば見るほど、私を見ているのと同じ。

『他人の振りみて、我が振り直せ』って言葉、同意しつつも、あまり好きではなかったのですが、「何だ。めちゃくちゃ、Onenessじゃん」と感動してきました。

私が作っているもの・投げかけたもので、世界はできているって思うと、
戦争したがっているように感じる最近の空気に対しても、ただ批判したり憂いたりするのではなく、自身を観察することが遠いことしているようで、実はすごい影響力があったりして・・。

私は、何かに対して、戦っているのか?
そして戦っているならば、何のために戦っているのか?

奪われないようにするため?そもそも、それは本当に奪われるものなの?
何かを得るため?そもそも、得るために戦う必要があるの?

自分のすごさを証明したいの?誰に対して?そもそも、証明する必要があるものなの?

何かに怖がっている?
怖がっていることを感じたくないから?

誰かが言いました。「世界には、愛と恐怖しかない」

私の中の、愛と恐怖、ゆっくりじっくり究めていこうと思います。

 

人生は面白い。