一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

ハラから湧くもの

へそ道を知ってから、『たま』『しい』運動で盛り上がっている今日この頃です。

『たま』と『しい』を意識して毎日過ごすと、いろんな面白いことが見えてきます。
自分の反応も変わってきます。
『たま』と一緒だと『しい』をより深く味わうことができるような。。

そんなことをしていたら、思い出したことがありました。

私の実家は小田原の曽我梅林の近くで、そんな土地柄もあり、毎年家で梅干しを作っています。
ある年は親戚から頂いたり、ある年は両親の知り合いから買ったり、その年の梅で、梅干しを作っています。
だから、毎年同じような梅干しができる訳ではなく、ふっくら柔らかい梅干しの年もあれば、身が薄くてゴリゴリ固い梅干しの年もあります。
そんな家なので、梅干しは買ったことがなく、東京に引っ越してからも、梅干しはいつも家からもらっています。

2年くらい前のこと。
そのときも、母に「そろそろ梅干しがなくなってきたので、送って」とお願いしました。数日後、父が趣味でやっている畑でとれた野菜と一緒に、梅干しが届きました。

届いた梅干しを一粒一粒、お箸で瓶に詰め替えていました。
ふと突然、なんだかとってもありがたい気持ちになり、涙があふれて止まらなくなりました。
いつもだったらそう感じる理由を探そうとしたと思うのですが、そのときは、ただただ流れてくる涙を感じて、黙々と梅干しを一粒一粒瓶に入れていました。

唐突ですが、母は愚痴っぽい人(私の投影もあるけど)です。
お父さんが野菜をいっぱい作りすぎて、それを料理しなければならないので、1日中台所に立ちどうしだ、とか
いっつも面倒なことは、私に押し付けられる、とか
誰も手伝ってくれないので、私一人疲れている、云々かんぬん。

梅干しのことも、「古いのが溜まる一方だから、もう来年からは梅干しは漬けないから!」と毎年言っていました。
ですが、梅の時期になると「要らないって言うのに、○○さんが梅持って来なって言うから、しょうがないじゃない」と、結局梅干し作りは続けています。
それを聞く私はいつも「イヤイヤやるんだったら、止めればいいじゃん。そんなものは、食べた人にも良くないよ」と、ぼやいておりました。

母の愚痴は『しい』から出たことで・・・
でも、『たま』は「やる」ってことを決めていて、母は、それを無意識に聞いていたのかも。
そして、その『たま』が、梅干しを通じて、私にも伝わったのかな〜と✨
そんな風に思いました。

その頃は、母がしてくれていることに対して無自覚で、「ありがとう」とちゃんと伝えたこともなかった・・・かも。

この梅干し事件で「感謝はハラから湧くものなのだ」と教えられ、その威力に魂ぶち抜かれました。

死ぬ前に気づいてよかった〜(笑)
それを気づかせてくれた母に、ありがとう。

それ以降、意識して「ありがとう」と伝えています。
そして、なんだか母は、あまり愚痴を言わなくなりました。
因果関係はわからないけどね。