一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

女性性と男性性

ボディサイコセラピーなんぞやっていると、思いもかけないことが現れてくる。

例えば、怒り。特に男性に対しての。

今まで、どちらかというと、自分は男性よりの目線だな。と思っていた。
社会的には、男性のほうがいろいろ枠が厳しそうだ。
まだまだ男性社会の日本。
そりゃ女性も大変だが、その主流にいることを無言で強いられる度合いは男性のほうが強い気がする。
その主流から外れることは、ある意味女性より、もっと大きな勇気が必要だろう。
云々。

しかし最近発見した。
自分の奥にあった、男性というものに対する怒り。

「お前らの言いなりにはならない!」 とか
「従うもんか」  とか
「お前らが支配してるから、戦争はいつまでたってもなくならないんだよ!」 とか。いやぁ、出るわ出るわ。

とすると、辻褄を合わせるために合理的な理由を見つけようとする脳が、こういう感覚に対してジャッジし始める。
「いやいや、それはあなた、真実じゃないよ」
「かなり偏見入ってるよ。単純な一般化は危険だよ」
「もうちょっと冷静になろうよ」

そうそう、これが今までの私のパターン。

今は、内臓の怒りに取り組んでいるところ。
今までクールですばやい脳にさんざん押し込まれてきた、からだの感情を受け止めようと決心したところ(これってしんどいんだけどね…)。

すぐ回転し始める脳に何度も中断されつつも、
自分が意識していたことと真逆の感情が出てきたことに軽いショックをうけつつも、
その怒りの感情と一緒にい続けた。

そしてしばらくたったある日。
家へ帰る途中。
歩いていると、おなかの奥から、言葉が上がってきた。
「私は女性でいいのだ」

またまた脳はいろいろ分析を始めたがっていたが、私のからだとハートは、なんだか嬉しがっているようだった。
それは、ホッとした丸い感覚で、幸福感であったまっていた。

後から解釈すれば。
恐らく、自分の女性性を受け入れたんだろう。

そして、男性への怒りは、自分の男性性が女性性を押し込めていたことへの怒り。だったのかもしれない。もちろん、それだけじゃないけどね。

とりあえず、上記解釈で私の脳も満足している。