一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

悲しむ時間

東日本大震災から3週間以上経った。

1週間ぐらい前から、テレビで流れているCMが気になり始めた。
「がんばろう日本」的な応援メッセージのようなやつだ。

「なんとか元気を出してもらいたい」「一人ではないよ」という励ましのメッセージは、それはそれで素晴らしい。

…とわかっちゃいるが、それを聞くたびに私は嫌な気持ちになった。
なんだか「泣いてちゃいけない」「悲しんでちゃいけない」という風に、私には聞こえるのだ。

現地でのボランティア活動が映像に流れ、行動している彼らの姿と比較して、被災してもいないのにくよくよしている自分がとっても用無しに思えた。

「悲しむ時間が欲しい」そう思っていた。

そう思っていたところ、先週末にBIPSの週末トレーニングが大阪であった。
トレーニング生の中に宮城のメンバーがいたので、当然、シェアリングでも、震災に関することが多かった。
私はなにしろ、悲しくて悲しくて。
関東トレーニングで一緒だった宮城のメンバーたち。会った5日後に、あの震災が起きた。

津波や火事の映像がテレビに流れるたび、こころが痛む前に涙が出た。
あの映像を何度も見ることもトラウマになる、ということはわかっているのだが、見ることを止められない。ある種中毒だ。

ふとした瞬間に関東トレーニングのことを思い出し、涙が出た。

この場所は安全な場所だ。
その安心な場所で、私は十分に悲しむことができた。十分に泣くことができた。
皆と一緒に、悲しんだ。

泣いていても始まらない。
悲しんでばかりでは、何もならない。

それはそうかも知れないが、今の私にはそれが必要だった。
私の心も身体も、想像以上に悲しんでいた。
いっぱい悲しんだら、ハートが暖かくなった。自分の足にエネルギーが流れているのを感じた。

悲しむ人の傍らにいる。泣いている人の肩や背中にそっと手を置く。
ただそれだけで、大きなサポートになる。

今回、私は皆から、その大きなサポートをもらった。
それは、明らかに、一人で悲しみ泣いた後では決して得られないものだった。

一緒に悲しむ。一緒に泣く。
そういう時間も持とう。

それが歩き出す力にもなるのだから。

大阪から戻ってきてから後、例の応援メッセージCMは、言葉そのままにまっすぐ心に響いている。