hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

今度は「おバカになる」

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「へら〜と笑え」に続いて、最近の私の心得は「おバカになる」。

 

「おバカになる」ことを意識すると、深刻ぶらない、流れをとめない、という状態も生む。


「真剣に」とか「ちゃんと」やろうとすると、なぜか重〜くなってしまう私。
ただ重いだけだったらいいなのだが、なんだかいろいろなものがくっついてくる。
制限を知らぬうちに築き上げ、自ら蟻地獄へ入っていたり・・・

もう少し風通しよく、軽やかに、取り組みたい。
ちょっとおバカになることで、そっち方向への風がふく。

そして、いろいろ考えることが好きな私。

 

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」でおなじみのstrengthfinderテストで、2番目の強みが「内省」だった。

見るもの聞くもの、その感覚に触発され、気がつかぬ間にいろいろな思いや考えを巡らせている。
それは私の探求ゲームのひとつなので、必死こいて止めようとは思っていないのだが、度を過ぎるとフワフワした状態へ飛んでいってしまう。
見ているのに見ていない、聞いているのに聞いていない、という「今ココ」にいない抜け殻状態になりがち。

そこで、「おバカになる」ことで、私の探求ゲームは起動しにくくなる。
インナートリップはお休みになり、その都度都度起きていることに感覚が集中する。
「今ココ」に居続けられる。


そうしていると、あまり変に考え込まない。変に非難しない。
そうは言っても全くそれらがなくなったというわけではないが、程度が軽いというところ。

「いい加減は良い加減」とはよく言われているが、力を抜いてゆるゆるやることが、実は一番折れにくい。
柔くみえて、実は強い。「柔よく剛を制す」ってことだね。

前は「柔軟性が大事」とか言っちゃって、それが却って頑なさを生み、状態は柔軟性からはるか遠くに行っちゃっていたが。

そんな自分の信念も忘れたぐらいのほうが、いつの間にかその信念に近づいているっていうことはあるかも。
「執着を手放す」とも言えるか。

おバカになることで、執着も減っているんだろうね、知らないうちに。

相変わらず、シリアス好きの私も健在であるが。
自分の自由度を高めるためにも、どっちの自分も大切にしよう。