hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

自己同一化せず

この前にNLPマスターコースで、ある方のシェアリングを受けて、北岡先生が言った言葉。
「自己同一化しないほど、小さな変化もわかる」

これに関連して・・・・


例えば、「感情」と自己同一化した場合。
自分は感情の波そのものであり、一緒に動いている状態。視点も定まらない。
波と一緒に絶えず動いている状態では、微妙な変化はわかりにくい。

大きな変化は、もちろんわかりやすい。

ということは、同一化の状態だと、変化がわかりにくいので、つい大きな変化を求めてしまうとはいえないだろうか?

ダイナミックな感情のほうが、リアルに感じる、生きていると感じる。

そういえば、私もそういうときがあった。
自分と感情を切り離すなんて、意味がわからなかった。
切り離したら感情を感じられなくなると、信じ込んでいた。

それは大きな勘違いと、今は言える。


そして、「からだ」と自己同一化した場合。
からだの具合が悪くなると、気分も落ち込む。
これはよくあることだ。
病気がきっかけで、心の病になる人も少なくない(当然、この逆もある)。

今回気がついたのは、
「具合が悪くなる → 気持ちもへこむ」
という構図しかないと、私はどうやら信じ切っていたということだ。

言い換えると、具合が悪くなると、自分の状態は管理できないと思っていた。
「からだの調子」と「状態」は別物と考えていなかったのだ。

この間のNLPマスターコースのなかでやったDTI演習で、具合が悪くなった。
からだはつらい、気分も落ち込む、思考もネガティブ方向。
ま、まさか、NLP演習で、具合が悪くなっちゃうとは!

しかし幸いなことに、NLPのおかげで、その日の夜には気分は回復した。

だが。
気分は回復したが、なぜか相変わらずからだは不調を訴えていた。
結局、火曜日までそれは続いた。
単に疲れがたまっていただけなのかもしれない。

以前の私だったら、からだと一緒に、火曜日まで気分も滅入り憂鬱になっていただろう。

今回はなんだか違った。
からだとの微妙な距離感。自己同一化せず、しかし、離れすぎず。

そのコンタクトのとり方が、自分には新しい感じだった。
その微妙な距離感(≠自己同一化)から聞こえたからだの声は、いつもと違った。
あえて言うなら、今まではもっと感情的になって、自分のからだに「ごめんねごめんね、気づいてあげられなくて〜。すぐケアするから待っててねぇ」という感じ。

今回は、「今、○○が必要な模様。すぐ対処します!」と冷静なドクターな感じ。

ふーん、こういう聞き方もあるのかぁ。

ま、どっちがいいというもんでもないが、バリエーションが増えるっつうことは喜ばしいことだ。


「自己同一化」にまつわるプチ気づきだった。