hitokadoh姉さんの身辺雑記

鍼灸師、心に浮かんだこと、あれこれつづります。

理屈のないところ

葉室頼昭さんの「〈神道〉のこころ」を友達から借りた。

 

以前にもブログに書いたが

hitokadoh-aider.hatenadiary.jp

葉室さんの話はとてもシンプルでわかりやすい。

彼自身、数奇な人生を送られており、まさに神様のお導きを忠実に生ききった方といえる。
いろいろなことを左脳的に論じることはもちろんのこと、実体験から来る右脳的確信もお持ちで、右脳・左脳両方をパワフルに使う人のすごさを感じる。

本のなかで、「神様は理屈のないところにいる」と語っている。
そして、最近の理屈ばかりにこだわる社会を嘆いておられた。

「理屈のないところに神様がいる」
それは最もなことだと思いながらも、私は理屈好きである。

幼い頃、「はい」とすぐ言うことを聞く弟と比べて、「お姉ちゃんは素直じゃないね」と言われたものだ。
「どうして?」と聞き、納得しないといられなかった。
今思えば、ずいぶんとうるさい、面倒くさい子どもだったろうと思う。

なぜ理屈が必要か?

ちょっとかっこよく言えば、いろいろ理屈をこねる左脳を納得させるための理由がほしい。
「ま、それじゃ仕方ないなぁ」と左脳も同意してもらいたい、と思っているのである。

ただ、理屈を求める理由がいつもそのようなものであればいいのだが。

何か恐れているものがあるのに、それを見たくないがために、理屈をこねる場合があるから厄介だ。

最近はずいぶんと「理屈なんてどうだっていいじゃない」スタンス寄り。

長いこと理屈と付き合ってきた結果、あってもなくても同じだと、私のどこかがわかったようだ。
大事なものは理屈のその先にあるのだ、と納得したのだ。

理屈をこねるのも結構エネルギーを使うってことにも気がついた。

今でも理屈好きになるときはある。
しかし、それはある種レクリエーション。頭の体操っぽいかな。

遠回りに見えるが、理屈を追いかけることも私には必要だったようだ。

今は、理屈をこえ、「素直なこと」がいかに大切かってことはよぉくわかる。

人それぞれたどりつく道は違うもんだ。