一香堂(ひとかどう)の身辺雑記

人生面白がろう😆一香堂はり灸師@神楽坂の雑記帳

KALDIで売れてるドレッシング

先日友人に教えてもらった、KALDIで売れているドレッシング。

フォロミール、とうとう買ってきました!

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KALDIの(だいたい)店の奥にある冷蔵コーナーに置いてあります。

保存料が入っていないので、賞味期間60日。
でも美味しいから、使い切っちゃうと思います! 

matome.naver.jp

これから夏野菜が美味しくなる季節。

山盛りサラダの良き友になりそうです〜。

 

人生は面白い。 

「センスがない」ってのは言い訳にならない

 こちらの『センスは知識からはじまる』、読んでました。

きっかけは、こちらのブログ。
gothedistance.hatenadiary.jp
『「センスがない」のほとんどは、単なる練習不足に過ぎない』とタイトルに引き寄せられ、この本が紹介されていました。

「センス」ってあらゆる分野で言われますよね。デザイン、ファッション、絵、スポーツ、スピーチ、あと何があるかな・・・とにかく、いろんなところで「センスがいい悪い」問題は出てきます。

鍼灸にも、「センスがある」…とガチに言わずとも、それ風な表現は聞かれます。

「センスは生まれつきのもの、一種の天賦の才能」と何とは無しに思っています。空気みたいに捉えどころがないので、よくわからず「センス」という言葉でまとめて言ってしまっている節があります。

それを「知識からはじまる」って言い切っているので、これは読んでみなきゃ!と思ったわけです。

著者の水野学氏は、クリエイティブディレクターで、NTTドコモの「iD」、「くまモン」の生みの親だそう。
HP見ると、私も知っているブランドのブランディングやデザインをやっていますね。

そんな方が語る「センス論」は、説得力があります。

私も含め皆、センス、アイデア、ひらめきに幻想を抱いているんですね…
どっかから降ってくる、とか、神様が舞い降りる、とか。何か秘訣があるはず、何か裏技があるはず、何かウルトラCがあるはず、etc.

でも、水野氏は、具体的に丁寧に、ご自分が生み出す過程を書いています。

「センスとはひらめきでなく、知識によって形成できる」「センスとは、研鑽によって身につくもの」と聞いたら、「センスがないので・・・」っていうのはもう言い訳に使えませんね。

さらに、水野氏は、「感覚とは、知識の集合体です。」とも言っています。「美しいと感じた体験の集積が、僕の中の『普通』という定規になっているのです。」

感覚は、知識と体験から生まれるってことですね〜。

ある鍼の先生が、「いい鍼灸師になるにはどうしたらいいですか?」という学生からの質問に「鍼灸関係なく、いろいろな体験をしてください。本を読む、絵をみる、どこか旅行に行く、なんでもいいですから」と答えられました。
この先生も、いろいろな体験が感覚を養うってことを知っておられたのでしょう。

「センスが必要とされない仕事など一つもない」のですから、アートデザイン系の人じゃなくても、いっぱい得るものがあります。
まさしく「『センスという恐怖の言葉』の呪縛から解き放たれる」一冊でした。

より「精度」を上げて暮らそう!

 

人生は面白い。

「イナンナの冥界下り」で異次元体験

先週金曜23日に、念願の「イナンナの冥界下り」を観に行ってきました。

「イナンナの冥界下り」がどういうものか、はこちらをご覧ください。

inanna.blog.jp

inanna.blog.jp

とはいえ、これで実際の舞台を想像するのは難しいでしょう(笑)

今回の公演は古代編+未来編という、なんと贅沢!!

能あり、ヒップホップあり、オペラあり、浪曲あり、神事っぽくもあり、etc.
能楽堂セルリアンタワー)の持つ雰囲気も相まって、時間空間が完全にこの世離れしていました。

「イナンナの冥界下り」を数回観ているという方曰く、そのたび毎に演出が全く違うので、現れてくる世界も全く違うそう。舞台も生きているんですね〜。

今回の、未来編イナンナ役をやられたコンテポラリーダンサーの湯浅永麻さん、素晴らしかったです!未来っぽい無機質っぽい衣装もよかった🖤
湯浅さんのからだから生み出される動きは、明らかに人間なんだけど、体温のない機械にも見えて、有機体と同時に無機体も感じるような、不思議な感覚を起こさせてくれました。熱を感じない熱、冷たさを感じない冷たさ…みたいな。

ちょっと何言ってるかわからないですね。言語化を超えたところに連れて行ってくれた、感じですかね。

観終わって、しばらくは肚の奥にごくごく微細な噦きがあり、周波数調整が必要でした(なんのこっちゃ・・・)。

 

人生は面白い。

 

修理っていいね

レパリエさんにお願いしていた靴のソール修理が上がってきました。

こんなにきれいになって返ってきました💓

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ソールが割れていたので、総張り替えです。

しかも、割れはかなり進行していて、ソールの奥まで割れていたらしい。

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なので、ラバーソール全体貼る前に、一枚レザーを入れて、縫いで仕上げてくれました!

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すんごい立派になって戻ってきた〜〜💕

オールソール交換ですから、それなりにお値段はかかりましたが…修理代と同じ金額で同じような靴は買えないので、お直ししてよかったな〜と思っています。

こちらの靴はマックスマーラのもので、2010年の冬セールで購入しました。結構履いてます。
レースアップだから脱いだり履いたりは大変で、ちょっと重めの靴なのだけれど・・・
足から足首までいい具合にフィットして歩きやすく、シルエットもきれいです。

そして、あの3.11の時にもこの靴履いていました。当時働いていた丸の内から当時住んでいた戸越銀座まで、この靴で歩いて帰りました。
あのとき歩きながら「あ〜、今日この靴で良かった!」と思ったのを思い出します。
そういう意味では苦楽(と言ってもいいと思う)を共にした靴です。

そして、相変わらずお氣に入りです。

そんなストーリーもある靴だったので、靴愛に溢れる修理で新たに生まれ変わって、嬉しいです。

修理出すとき、無難に「靴専科」とか「リアット」とかチェーン店にしようかと思ったのですが、何度かお店の前を通ったとき氣にかかっていたこちらのお店にしました。

www.repalier.com

これも良い選択でした。職人仕事を感じさせるレパリエ、ぜひどうぞ。

 

人生は面白い。

Facebook疲れ⤵️

先週から、Facebookを開けると、頭の中が騒がしくなり、見るのを止めてます。

これは、SNS疲れなんでしょうか??

でもTwitterは見てもそんな状態にならないので、FB限定ですね。

内容読んでいなくても、文字を見ただけで、目から何かが流れ込んできて、頭が騒がしくなります。

目からの侵入感、介入感は、若干の暴力性も混じっていて、私の中の「被害者」がむくむくと成長し始めるの感じて、開くことも止めています。

FB投稿内容が暴力的ってわけでもないのですが。。。

いろんな人の思いや、つぶやきや、お知らせや、写真や、シェアや、意見や、メッセージ等々が、ワーワーとこだまして流れ込んでくる感じ・・・です。

あまりの騒がしさに、アカウント閉じようかと衝動的に思いましたが、冷静になってそれはやめました。

SNSとかの距離の取り方や扱い方には慣れている・・・と自分では思っていただけに、意外でした。

こうなった原因と考えられることはいくつか思い当たりますが、そこは分析せずに、一旦休みましょう。

 

人生は面白い。

アドラー読むと「痛い」のですが…

図書館で『幸せになる勇気』の貸出予約を入れたとき、3年前読んだ『嫌われる勇気ももう一度読もうと思って、こちらも予約入れました。

   

予約順位は全く違っていたのに、『嫌われる勇気』の順番が来て一週間後に、『幸せになる勇気』の順番が来ました。「順番に読んでね!」って感じだね。
おかげで、『嫌われる勇気』の復習後に『幸せになる勇気』を読むことができました!天の采配どおり、この2冊は続けて読んだ方が確かに沁みますね。

幸せになる勇気』では、前作でアドラーに目覚めた青年は小学校の教師になっています。アドラー心理学を日々実践しようと奮闘していましたが、現実の学校生活ではうまく行かず、「騙された!あいつは嘘つきだ!」と再び哲人の元を訪ね、あらなた対話を始めます。対話は「愛」まで及び、深くなっていきます。

アドラーの「愛」の定義がクールすぎて、頭とハートを撃ち抜かれ、宇宙まで飛びました(あくまで比喩です)。
スピリチュアルでワンネスな世界へぶっ飛びましたが、丁寧で忍耐強い哲人との対話で一緒に歩いているような感覚になりました。

そして、相変わらずアドラーは「痛い」(笑)

アドラーの第一印象は「厳しい」と「痛い」でした。全くもって容赦ないのです。
トラウマの存在は認めないし、自己責任だし、褒めるのはダメだし、etc.
無意識に採用してきた自分の思い込みが姿を表してきて、それらをバズーカ砲でズドーンと撃ち抜かれたような状態。
一瞬呆気に取られ新しい匂いの風を感じると同時に、ボコボコ湧き上がってくる反発と抵抗。「そうは言ったってさ〜」「それは理想論だろ」「現実は甘くないよ」

アドラーは痛くて厳しい…だけど、なんだかあったかい。そしてクールだ。

人に失望していない。人の可能性を信頼している。

どんな行為でも目的がある。その目的がわかればいいのだ。比較を捨てろ。勇氣の問題だけ。縦の関係じゃなく横の関係。承認じゃなく貢献。一体感。

言葉にすればありふれたものばかりだけど…しかも、ビジネスの自己啓発系っぽくなりがちだけど…

gendai.ismedia.jp

でも、それだけじゃない。

アドラー思想を真髄まで語れるのは、おそらく岸見先生が哲学者だからかもしれないですね。


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 今日1日の生き方


【茂木健一郎×岸見一郎】 〈アドラー心理学〉 生活に生かす応用の仕方

 

幸せになる勇気』から引用(文字拡大は引用者追加)。

「わかりえぬ存在」としての他者を信じること、それが信頼です。われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです。(p.211) 
利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それがなのです。(p.239)
ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。
幸福なる生を手に入れるために、「わたし」は消えてなくなるべきなのです。(p.240)

いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。(p.244)

 岸見先生は、介護の本も出されています。
老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる』を以前読みましたが、アドラー思想を混えた介護、目を覚まさせてくれるところがいっぱいありました。

 

介護なさっている方、ぜひどうぞ。

これで終わりにしようかと思いましたが、追加。

アドラーも決して感情を否定しているのではありません。字面だけ読むと、そう読んでしまう方もいるかもしれません。
感情が起こるのは自然なことです。でも、感情の奴隷になるかどうか、私たちは選べるということです。
そして、「感情の奴隷にならない」は「感情を抑える」とは違います。 

 

人生は面白い。