hitokadoh姐さんの身辺雑記

人生は面白い。鍼灸師、あれこれ綴ってます。

失われていた記憶

昨年の夏に、ルイーズ・ヘイ著『ライフヒーリング』を読みました。

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その後、彼女の他の本も読みたいと思って、『それでも、あなたを愛しなさい』を図書館の長い予約リストに名前を入れました。買えよ!って話ですが、今、ある分野以外の本は手元に置かないと決めているので。

長いwaiting listの順番がまわってきたのは、昨日。ようやく手元にきました。

そしてちょっとこじつけますが(笑)、週末に、ある思いが湧いてきていました。

自分が性的被害者だったということを書いた方がいいんじゃないか。。いや、書くべきじゃないか。。いや、書きたい!ということ。

そして、その記憶は、20年近く私の中から欠落していました。

今、手元のこの本を数十ページ読んだところで、やはり書くことにします。
 

決めながらも、「そんな昔のこと蒸し返さなくても」となだめる私もいます(笑)

注:実際の被害者の方は、フラッシュバックが起こる可能性もあります。不安定なときは読まないでください。読んでいる最中に異変を感じたら、詠むのはやめてください。

 

その記憶が浮上してきたのは、2011年の初夏。3.11が起きた後です。

きっかけは些細なことでした。

フリーマーケットに出店していたとき、あらかた商品も捌けたので、他のお店を見ようとぶらついていました。
そのとき、男性が「ちょっとすみません」と近づいてきて、「はい」と振り返った私の顔に、何かスプレーをかけたのです。
びっくりした私は声も出ず固まりました。ふと我に返ると、そいつはスタスタと立ち去って後ろ姿が遠くに見えました。「なんだ、あいつ!!何、ふっかけたんだ?!」と舌打ちしました。
「変な薬かけられた?」と一瞬心配になりましたが、かけられたときに匂いはなく、氣分に何の変化もなかったので、「頭おかしい奴のいたずらか。」と納得し、フリーマーケットの店じまいをして帰りました。

乗り換えで品川駅を歩いていたとき、なんか急に怒りが湧いてきたんですね、さっきの頭おかしい男に。

「何だ、あいつは!!ほんっと、訳ワカンナイ(怒)糞な男が多すぎる!!」怒り爆発状態。きっと眉毛が釣り上がってたと思う。

その怒りを吐き出すかのように、移動する足音はガシガシと強くなっていった。
足音が強くなるのにつれて、余計なことまで思い出してきた、もうすっかり忘れていた痴漢のこととか。「あいつもこいつも、ほんっと最悪!クソったれ!!」心の中で悪態つきまくってた。

そのとき、ある瞬間、下腹部の奥がフッと緩んだのを感じた。「そういえば、レイプされそうになったこともあったっけ…」26〜27歳頃のことだった。

それが記憶に浮上した最初だった。その時は、特に何でもなかった。ショックもなく、悲しみもなく、淡々としていて、むしろ心はしんとしていた。

数日後から、私は眠れなくなった。
昼間働いているときは何でもない。以前と変わりない日常だったのだが。

それは、夜ウトウトして眠りに落ちる間際にやってきた。フラッシュバックってやつ。

横になった身体を感じると、その時のことを思い出す。
背中の衝撃。身体の重さ。呼吸できない苦しさ。抵抗して噛み付いたときの相手の腕の感触。自分の叫び声。

それらが混ぜこぜにぐるぐる回って、呼吸困難で、目が覚めた。目が覚めた後、感じる自分の肉体が氣持ち悪くなって、また呼吸困難に。

自分が壊れかけているのを、感じた。

ちょうどその頃、私は、ボディサイコセラピーの心理療法を学ぶBIPSという団体のトレーニングコースに参加していた。(BIPSでのいろいろな体験は、「ボディサイコセラピー」のカテゴリーで書いています。)

当時、ほとんど毎月、BIPSの合宿や週末のトレーニングがあった。
自分の状態を話したら、「PTSDになりかかっている。個人セッションも受けた方がいい」と言われた。個人セッションは確か2回受けたかな。ワークもできたし、相談相手も揃っていた。

まるで、私のからだは「この状況だったら、サポート体制は万全だ」とわかっていたかのようだった。

そうは言っても、PTSD寸前からのプロセスは苦しく、よくなったかと思えば、悪くなり。。。

しまいには、昼間の生活にも支障が出てきた。

通勤電車が辛いのだ。氣持ち悪いのだ。怖いのだ。
対象は、周りにいる男性たち。
そして、自分。いつ「怒り」のスイッチが入って、周りの人たちを蹴っ飛ばしかねない自分を抑えた。

この抑えがたい「怒り」は、ちょうどBIPSの合宿があり、そこでも取り組んでいたようだ(ブログみて思い出しました、これもかな)。

怒りの先は、自己嫌悪と悲しみと絶望感があった。

(一回では書けなかったので、続く

 

いつも締めに書いているこの言葉、書くのに躊躇いはありますが、でもやっぱりこれで締める!

人生は面白い。

 

からだの排毒力

世にも美しいガンの治し方」でおなじみのムラキテルミさんのお話は、人間が持っている排毒力がいかに凄いか、を教えてくれます。

彼女がいかに肝臓がんからSurviveしたか、こちらで美しいイラストと共にご覧になれます。

こちらの本には、レシピも満載です。
 

 


【末期ガン克服】断食(ファスティング)は万病を治します。

彼女の「末期ガン」からのsurvive体験について、ネットでは賛否両論あるようですね…「末期じゃなかったんじゃない?」とか「金儲けのネタだよ」とか、ね。

彼女が本当に末期ガンだったかどうかは、私も証明のしようがありません。

でもね…彼女が書いている「からだの持つ排毒力」に、とても惹かれているのは事実です。
からだの持つ可能性、からだに潜んでいる神の御技を感じます。

一つ言えるのは「病気は結果でしかない」ということです。

なぜそれが起こった原因があるのです。

厄介なのは、原因は大概複数あるということ。複数の要因が絡み合って、起こります。
そして、様々な要因に対する感応精度は、個体差があります。
さらに、私たちは、肉体のみで生きているわけではない。感情、反応、感覚、環境、文化、遺伝子、そして魂。
それゆえ、結果(病気)が同じであっても、原因も結果に至る過程も異なります。

昔に比べれば、日本も「個性」を尊重する社会になってきている、はず…

当然、からだにも「個性」があります。

自分に起きたことが、あの人に起こる、とは限りません。自分に起きていないから、それが 「嘘」だと言うのは、あまりにも短絡的。

「あいつは間違っている」「これは嘘だ」と言うのもいいけれど…

「あなたの真実」を見つける方がはるかに大切ではないか…と思うのです。

 人生は面白い。

Don't think! FEEL!

昨日、こちらに「昔の薬疹事件」のことを書きました。

「薬疹」とは書きましたが…

当時医師に「一体何が原因だったんでしょうか?」と聞いたときに、その先生の言い方は「肝臓も弱っていたみたいですし。可能性としては薬疹ですかね。」という感じでした。

正しくは「薬疹の可能性」ですね。

その頃の私はよくわかっておりませんでした。
単純に「〇〇したから、△△になった」「〇〇さえしなければ△△にならない」。数学の答えみたいに思っていました。

でも、実際、原因は一つだけとは限りません。

いろいろな環境とタイミングがあって、いろいろなことが複雑に絡み合って、あること(症状)が表出してきます。

そして、からだの症状だからと言って、身体的な原因だけとは限りません。

人生初の入院から何年か経ったときに、ふと、ある考えが浮びました。

「私、からだに止められたんだ」

会社を休む前日、私はある決心をしていました。

「もうだめだ、もう無理だ。明日出社したら、朝一で『辞める』と言おう」
そして、何回も何回も『辞めます』の言い方をシュミレーションしました(笑)

今思うと笑っちゃうほど、その頃の私は角張って突っ張って、堅物で真面目で一生懸命でした。ハンドルの「遊び」がない状態でした〜。

そんな私をからだが止めてくれたんだ。

一旦立ち止まって、ゆっくり休んで、ヒートアップした頭を冷やせ!とばかりに、私をぶっ倒した(笑)

なぜそう思ったか?というと、

もし、当時あの会社を辞めていたとしたら、

あの人にもこの人にもその人にも会っていなかったかも。。
あの事、この事、その事を、知ることも体験することもなかったかも。。

ということが、あまりにもいっぱいあり過ぎたから。

今の私からそれらを差し引いたら、人生に対する態度というか、ポリシーというか、そんなものが、随分と味氣なく乾いていてつまらないものになっていたかもしれない…

そう実感したからでした。

その、根拠もない、証明のしようもない氣づきは、私に、からだに対する大いなる信頼感をもたらしてくれました。

そして、このとき私は、心の中で小さく決意しました。

「何のため、とか、これやったら●●なる、とかわからなくても、『やりたい!』『面白そう』と思ったら、まずはやってみよう!」って。

"Just do it!" ですね。

あるいは、"Don't think! Feel!" でもいいかも:D

 

かといって、例え、あのとき会社を辞めていたとしても、それはそれで、その道筋で大切なことはいっぱいあっただろう…とも思っています。

人間が考えられることより、宇宙の計らいはデカいと信じているのでね。

 

人生は面白い。 

「ご縁」

先日、初診でいらした患者さん。私の友人の紹介でお見えになりました。

鍼治療は初めて、とのこと。

以前から鍼には興味があったけれど、なかなかピンと来ず。
お知り合いの方から、一週間くらい前に私の友人を紹介され、神楽坂での出張治療のことを聞いて、ご予約をいただきました。

理由は、私の友人が好印象だったから。

もちろん、私の友人を紹介された元のお知り合いの方がとても良い方、というのが前提ですが。

ことある毎に、いろんな場所で、いろんな時と場合で、「ご縁」と言われますが、本当に「ご縁」ですね〜。

「ご縁」とか「繋がり」って、あるけれど実体はないですよね。
目で見えないし、触って確かめることもできない(中には、実際見えて触れる方もいらっしゃるかもしれませんが ^^)。
でも確かに在る。

こうしたから絶対「ご縁」ができるってものでもなし。
「ご縁」作るために〇〇するっていうのも違うし。

そういう意味では、いのちと似ているな〜、と。

根本の根本の大原則、法則はあれども、人間の了見から出たことは小手先に過ぎず。
最後は、お任せ…カッコよくいえば「大いなる委ね」が仕上げるっていう風な。

かといって、人間の了見が無駄ってわけでは無いですが。

天と人との協働創作、でしょうか。

「治療」もそうかな…と思っております。

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 人生は面白い。

最近ハマっている神楽坂のパン屋

今年、神楽坂での出張治療を始めたので、必然的に神楽坂界隈のお店をよく利用するようになりました。

パン屋といえば、友人に教えてもらった亀井堂を利用することが多かったのですが、最近ググって見つけたのがドイツパンのベッカー

1階に「Dolce Vita」という食材店があるビルの3階に、そのパン屋はあります。

Dolce Vitaの脇にビルの入口があって、こんな風に看板が出てます。
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ガラスのドアを開けて奥に入って行くと、突き当たりにエレベーターがあり、3階へ。

3階のパン屋の入り口も、パン屋っぽくなくて、初めて入るときは躊躇しました(^^;;

いかにもこだわり職人的風貌のご主人が一人でパンを作っています。
強面で無愛想に見えますが、お話するとダジャレ言ったりして、結構オモロいおっちゃんです(^^)

初訪問のときは、プレッツェル、タマゴパン、ロッゲンブロート(ライ麦パン)を購入。
ロッゲンブロートは大きかったのですが、ご主人曰く、冷蔵庫で保存すれば2週間は大丈夫とのことだったので、買いました。
どれも美味しくて、すっかりファンになってしまいました。 食べログでも人気のプレッツェルは鉄板で美味しかったですが、ロッゲンブロート買ってよかった!食べ応えがあって、粉の味も好みで、すごい満足感がありました❤️

下記の写真は、2回目のとき買ったもの。王道プレッツェルと、初食ツォプフ。
ツォプフは、プレッツェルより柔らかめ。確か「食事パン」と書いてあったような。
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先週は、ババという、ラム酒がたっぷり染み込んだふわふわのパンを、お土産に買って帰りました(写真なし)。袋開けたら、ラム酒が下に溜まっているくらいたっぷりで、お酒弱い人は酔いますね〜。

これはこれで美味しかったけれど、私は固いパンの方が好きかな。

当分通いそうな勢いで、ハマってます!

神楽坂へお越しの際は、寄ってみてください。

ベッカー 神楽坂店 11:00〜20:00営業、火・水お休み
 

人生は面白い。

日常にひそむチカラ

昨日の、ある勉強会(?)でのこと。 

スピーカーの女性の方が、言いました。
「加害者になりたくない。なぜなら、被害者になりたくないから」
そして、「これって結構難しいんです。」とも。

そうですね…
生きているってこと自体、ある意味、誰か・何かの犠牲のもとに成り立っています。

例えば「食べる」という行為もそう。
植物、動物のいのちをいただいて、私たちは生きています。

ここ日本において、私たちは豊かな食生活の恩恵を受けています。

街では、いろんなお店でいろんな国の料理を楽しむことができます。スーパーでは、世界中の食材を買うことができます。

当たり前のこと、日常のこととなっていますが、よく考えたらすごいことです。

その豊かさは、奇跡的なバランスの上に成り立っているもので、状況が変化すれば簡単に壊れてしまうガラスのような豊かさでもあるのです。

「日本が食料危機に陥る理由がいくつかある」そうです(10年以上前の話として聞いたので、今は違っているかもしれませんが)。

一つは、中国が日本と同じくらい豊かになったら、日本へ食料が回ってこなくなる。

あと、インドも。

もう一つは、アフリカ。
未だに内紛が勃発しているアフリカは、まだマーケットとして認識されていない。
アフリカが平和になり、世界中からマーケットとして注目されるようになったら、日本に食料が回ってこなくなる可能性がある…とのこと。

「だからといって、アフリカが平和にならなくてもいい、というわけでは、もちろんありません!」

日本の豊かさ自体、誰かの犠牲によってもたらされている…とも言えます。

「加害者にならない」日常を追い求めると、今までの日常とは違う選択をせざるを得ないケース、あります。

毎日食べているものは、

誰が作っているのか?
どこで作っているのか?
どのように作っているのか?
どのように運ばれて来ているのか?

食べ物以外にも、今使っているものたち。石鹸・服・化粧品・シャンプー・トイレットペーパー・タオル・食器 etc.

結構たくさんありますよね〜。

だからこそ、毎日の生活をどういう風に思い考え、送っているか?…ということが、私たちが想像している以上に大きなチカラになるのかもしれません。

何を食べるか?
何を使うか?
何を作るか?
何を買うか?
何を話すか?
何を行動するか?

選択する基準は別に「加害者にならない」でなくても構いません。。自分にしっくりくるものがあるはずです。

惰性でなく、催眠状態でなく、盲目的でなく、

意識的に、目を覚まして、
自ら考え、決める、
選択する。

それで、たぶん、世界は出来てくる…はずだよね。

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人生は面白い。

『沈黙』で溺死しかけた

ずっと観たかった「沈黙ーサイレンスー」、観てきました。

chinmoku.jp

長いと感じられない2時間41分。

初っ端からキリシタン弾圧の拷問シーンで始まります。

胸が痛くて苦しいのは、数々の拷問シーンのせいではなく(多少そのせいでもあるけれど…)、人の弱さ、ずるさ、残酷さ、傲慢さと、人の中に確かにある神々しさの間で、大きく揺さぶられて溺れかけていたからだ。

ある出来事を思い出した。
30代前半にあるきっかけで参加していた勉強会。お隣に座っていた女性が、私の話(何の話かは覚えていない)を心を傾けて聞いてくれていて、何かの文脈で言った一言「私たちは、神様ではないから」に、えらく「救われた」と思った。

おそらく、神の大きさ、深さ、広さは、人である私がいくら感じても考えても想像しても、それらを超えているんだろう…と思う。

殉教したものは英雄として語られ、棄教したものは裏切り者として語られる。
それらも、人の目線でしかない。

棄教した神父ロドリゴが最期まで生きた様に、「キリスト」なるものを感じた。それは、彼の中に、確かに「神」が生きていたから。

胸が痛くて苦しくて、哀しくて絶望的で美しくて、永遠過ぎて、溺死しかけた2時間41分。

全ては沈黙のなかにある…

 

原作未読なので、読んでみます。

 

人生は面白い。